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2018年10月12日 (金)

暖簾いろいろ その26

くろちく大正館
  中京区新町通錦小路上ル
  和雑貨など

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にしむら
  中京区六角通高倉西入
  京料理

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むかで屋
  中京区新町通錦小路上ル
  京料理

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みこう
  中京区新椹木町通夷川上ル
  京料理 

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2018年10月 5日 (金)

路地(ろーじ)ーそのいろいろー 27

今回は下京で見かけた路地です


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2018年9月28日 (金)

辻子 ー菅大臣辻子ー

 仏光寺通西洞院の東方、菅大臣町の北側にある北菅大臣社に通じる小路が菅大臣辻子です。

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 仏光寺通を挟んで北側には北菅大臣神社があり、南側には菅大臣神社があります。
 この2社、元々は菅原道真の屋敷跡で、南北2町東西1町を占める広さだったそうです。それが、鎌倉期になって現在のように南北に分かれたということです。

 ところで『京町鑑』には、綾小路通新町西入「矢田町」の記述の中で「此所北ヘ行所は膏藥辻子也叉南へ行所は㋟管大臣辻子」としています。
ということは、往時の「菅大臣辻子」は、北は綾小路通から南は仏光寺通まで通じていたようにも取れるのですが・・・。sign02

北菅大臣社(紅梅殿の址)

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 北菅大臣神社は紅梅殿また菅原御所と称されました。
 道真が太宰府へ左遷される際に次のような有名な和歌を詠んだのは、この紅梅殿であったと云う。
   東風吹かば匂ひおこせよ梅の花
      あるじなしとて春な忘れそ

 ところで、
 仏光寺通の北側にある北菅大臣神社の祭神は、菅相公と称された菅原是善で、道真の父とされます。
 ところが、『都名所圖會』では「菅大臣の北門前にあり、祭所菅神の御子なり」と記しています。つまり、祭神は道真の父である是善ではなく、道真の子だとしているのです。

 また、『京都坊目誌』では「祭神菅原是善とす、或は云ふ、道眞の子也と。」とあって、祭神は是善とされるが、道真の子だとも云うと記しているのです。

 はてさて、北菅大臣神社の祭神は、道真の父である是善なのか、それとも道真の子なのか。ハッキリしません。これはどう云うわけなのかと首をかしげてしまいます。


菅大臣神社(白梅殿の址)

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 一方、仏光寺通を挟んで南側にある菅大臣神社は、菅原道真を祭神としている。
 ここも、菅原道真の居館跡であって、白梅殿と称された。ここに社殿を造営したのが起り。

 なお、「菅大臣町」の町名由来は、言うまでもなく菅大臣神社があることによる。

菅大臣町の仁丹町名表示板

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2018年9月21日 (金)

空・光・水・風 その24

光、ひかり、ヒカリ

早 苗

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つばき

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う め

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まんりょう

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モクレン

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2018年9月14日 (金)

看板いろいろ その23

拾 得(じっとく)
  上京区大宮通下立売下ル
  ライブハウス
  以前にアップした「磔磔(たくたく)」と同様、京都の老舗ライブハウスです。

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大 市

  下長者町通千本西入
  すっぽん料理
  元禄年間の創業とか

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本田味噌

  上京区室町通一条上ル
  味噌製造販売

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小倉羊羹

 下長者町通千本西入
 民家の壁代わりになっているようにも見えます。
 羊羹(ようかん)はもともとは中国の料理で、読んで字のごとく羊の羹(あつもの)、つまりは羊の肉を煮たスープだったようで、冷めると肉のゼラチンによって固まり、自然に煮凝りの状態となる。
日本へは禅僧によって伝えられたが、禅宗では肉食が禁じられているため、精進料理として羊肉の代わりに小豆を用いたものが、日本における羊羹の原型になったとされているようです。
 ちなみに、小倉餡(おぐらあん)というのがありますが、これは空海が中国から持ち帰った小豆の種子を、現在の京都市右京区嵯峨小倉山近辺で栽培し、和三郎という菓子職人が砂糖を加え煮つめて餡を作り御所に献上したのが発祥とされるそうです。
 二尊院門前の駐車場きわに、小倉餡発祥地の碑が建っています。

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2018年9月 7日 (金)

辻子 ーかんじょ辻子ー

 「かんじょ辻子」は、上ノ下立売通(現・妙心寺道)の北裏通で、御前通と天神通の間。
 北町、川瀬町、西上之町と仲之町の境界を通貫しています。

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 『京都坊目誌』は、「河瀬町(川瀬町)」について次のように記しています。
 「古昔此町を筑紫町と呼べり。相傳ふ菅神を北野に祀るとき、安樂寺を此邊に移せしより、筑紫の稱ありと云ふ」とあります。

安楽寺天満宮

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 安楽寺は旧北野天満宮別当曼殊院宮の支配であり、太宰府に左遷された菅原道真の死後、道真に付き従っていた人々が帰京して、この地に道真の霊を迎え祀った。 安楽寺天満宮(俗に子規=ホトトギスの天神)とも称された。
 いま、川瀬町の西方、天神通から西へ入った北町に安楽寺天満宮があるが、これは後世の明治に入ってから私的に旧跡保存のため設けられたとのことです。

一ノ保社の址

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 その後、北野神社の神事に奉仕する北野神人といわれる人々は、七ヶ所の御供所(七保)を設けて住んだ。これを北野天満宮御供所七保と云ったようで、安楽寺天満宮はその第一の保でした。
 因に、御供所というのは北野天満宮の供え物を調える所だったということです。

 さて最後に、これは私見であり定かではないのですが。
 「かんじょ辻子」の名前の由来は、菅原道真の霊を太宰府からまずこの地に移し祀ったと伝わることから、「勧請の辻子」が「かんじょ辻子」へと転訛したのではなかろうかと思います。さて、如何なものでしょう。故事つけ(こじつけ)かな?

 次の写真、安楽寺天満宮のある北町の仁丹町名表示板です。

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2018年8月31日 (金)

暖簾いろいろ その25

THE SCREEN  (その1)
  中京区寺町通丸太町下ル
  ホテル

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THE SCREEN
  (その2)

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三井ガーデンホテル京都新町別邸
 (その1)
  中京区新町通六角下ル
  ホテル 居様

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三井ガーデンホテル京都新町別邸 (その2)

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2018年8月24日 (金)

百鬼夜行と「あはゝの辻」

1. 妖怪スポット「あはゝの辻」
 江戸時代後期に成立したとされる、歴史物語『大鏡』から少し引用します。(いきなり何だ!と言われそうですが、固いことは言わないでください。)
 「この九條殿は、百鬼夜行にあはせたまへるは。いづれの月といふことは、えうけたまはらず、いみじう夜ふけて、内より出でたまふに、大宮より南ざまへおはしますに、あはゝのつしのほどにて・・・(以下省略)」

 そのおおよその意味は、次のような感じになるのでしょうか。

 「この九條殿が百鬼夜行に遭遇されたのです。何月のことであったかは伺っていませんが、大層夜も更てから内裏を退出されて、大宮大路から南へいらっしゃる時、あはゝの辻の辺りで、・・・」
 【註】「九條殿」は九條右大臣藤原師輔のこと、「百鬼夜行」は深夜に様々の妖怪や鬼など魑魅魍魎が、群れて練り歩くことです。

杖を持つ鬼の図
 白髭の赤鬼が白髪をなびかせて歩む(「百鬼ノ図」から)。画像提供は国際日本文化研究センター。

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 平安時代に、百鬼夜行を取り上げた説話集は『大鏡』の他にも、いろいろあるようです。
 『今昔物語』では、藤原常行が夜も更けから愛人のもとへ行く途中、二條大路に面した大内裏の美福門の辺りで百鬼夜行に遭遇する。
 『江談抄』では、二條大路に面した大内裏の正門である朱雀門の前で、小野篁が藤原高藤に百鬼夜行を見せた。
 『康頼宝物集』『古本説話集』などは、『大鏡』から引いているそうです。
 そのほか『百鬼夜行圖』など、妖怪や鬼を描いた百鬼夜行絵巻が多数ある。


2. 「あはゝの辻」はどこに

 「あはゝの辻」の一帯は深夜になると、たくさんの妖怪など魑魅魍魎が出没群行する異界となったようです。

琵琶と琴の妖怪図
 琵琶の化物が琴の化物を引いている(「百鬼夜行絵巻」から)。画像提供は国際日本文化研究センター。

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 この「あはゝの辻」は、大内裏(北側)と神泉苑(南側)が向かい合う二條大路と、そのすぐ東の大宮大路が交差する地点だったようです。
 したがって、その場所は後年の慶長8年(1603)、徳川家康が造営した二條城の城内に取り込まれてしまったため、今では消滅してしまいありません。
 位置的には、二條城の二の丸庭園西端から、本丸御殿へ渡る東橋の東詰めにかけての一帯が、当時の二條大宮にあたります。

「あはゝの辻」(『中古京師内外地図全』から)
 この図では、二條大路と大宮大路が交差する地点に「アハノ辻」と記されている。
 この図は、応仁の乱以前の様子を復元すべく寛延3年(1950)に作成された。提供は国際日本文化センター。


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 ところで、『大鏡』は平安時代末期に成立したとされます。その平安時代後期には、歴史的仮名遣いで語中や語尾のハ行音は、ワ行音に発音されるように変化します。ハ行転呼現象といわれるもので、例えば、「かは(川)」は「かわ」に、「おもはず(思はず)」は「おもわず」に転音します。
 なので、「あはゝの辻」は「あわゝの辻」と発音します。
 妖怪スポットで運悪く魑魅魍魎に遭遇した人は、当然「アワワッ!」と悲鳴をあるでしょう。「アハハッ!」では明るい笑い声になって、異界での禍々しい出来事に相応しくありませんから。sign02(笑)


3. 妖怪のたたりを避ける方法

 百鬼夜行に出くわした人は死んでしまうと言われていたため、当時の人々は夜に出歩くことは控えたと云う。

骸骨の図
 耳のある骸骨が赤い褌姿で幣帛を持ち踊り歩いている(「百鬼ノ図」から)。画像提供は国際日本文化研究センター。

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 妖怪や鬼に遭遇しても、着ているものに「尊勝陀羅尼」の経文を縫い付けたり、その経文を一心に誦経することで妖怪達は退散したと云う。
 また、百鬼夜行のたたりなど害を避けるための呪文があったそうです。
 それは「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ」と唱えるのだそうです。
 『袋草紙』(歌論書)や『口遊(くちずさみ)』(子供向けの教養書)などにも、同様の歌が記されていて、その意味は「難(かた)しはや、行か瀬に庫裏に、貯める酒、手酔い、足酔い、我し来にけり」とされているようです。

2018年8月17日 (金)

空・光・水・風 その23

馬酔木(アセビ)

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朝 顔
(アサガオ)1

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朝 顔
(アサガオ)2

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南 天
(ナンテン)

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2018年8月10日 (金)

看板いろいろ その22

熊谷道具處
  中京区寺町通二条上ル
  中道具・茶道具・陶磁器・書画
 この看板には「淡庵」とあることから、文字の揮毫者は経済地理学者(経済学博士)の淡川康一氏(昭和52年没)とみられます。氏は禅画の研究者でもあり、その著述が相当数あります。

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宮脇賣扇庵

  中京区六角通富小路東入
  京扇子

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彩雲堂

  中京区姉小路通麩屋町東入
  日本画材料

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吉田源之丞老舗

  中京区三条通寺町東入
  仏壇・仏具

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