看板 ー化粧品 その1ー
レート白粉
これは、明治11年から昭和29年頃まで、東京の岳陽堂(のちにレートと変更)から発売されていた「レート化粧料」の一つ。
明治から大正にかけて、大阪・中山太陽堂の「クラブ化粧品」と人気を競い、「東のレート、西のクラブ」と称されたとのこと。
先の「レート白粉」看板の近くに、次の仁丹町名表示板がありました。
後の方の「レート白粉」看板の近くに、以前の記事『痛々しい仁丹町名表示板たち』で挙げていた、町名表示板「南門前町」があります。
ところで、作曲家で歌手でもある平尾昌晃氏は、このレート化粧料製造発売元の創業者二代目平尾賛平氏の孫に当たるそうです。
その平尾昌晃の名前の入ったミュージックスクールの看板を、これも以前の記事『辻子 ー白梅辻子とその周辺』で挙げた「大猪熊町」内で見かけました。
« 看板 ー飲料 その2ー | トップページ | 辻子 ー膏薬辻子とその周辺ー »
「看板・ポスター・暖簾」カテゴリの記事
- 暖簾いろいろ その37(2022.06.24)
- 看板いろいろ その41(2022.04.15)
- 伸子張り(しんしばり)(2021.10.08)
- 暖簾いろいろ その36(2021.03.26)
- 看板いろいろ その40(2021.05.07)
コメント