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2011年9月 7日 (水)

町名の由来と仁丹町名表示板 その1

新釜座町

Photo

 以前、記事にした「膏薬辻子」(綾小路通西洞院東入上ル)に所在する。この辻子はクランク状になった小路だが、その中程の大半が新釜座町となっている。もとは、その北半を膏薬辻子、そして南半を南膏薬辻子と云っていたが、明治2年に合併して現町名になった。中世以来、釜座の所在地であった釜座町の南方にあることが町名の由来か。
 この新釜座町の北端に接して郭巨山町(山鉾町)、南端に接して矢田町がある。


匂天神町

Photo_2

 高辻通烏丸東入を北行するクランク状の小路である。町名の由来は、菅原道真を祀る匂天神社(明治2年に廃社)があったことによる。なお、この匂天神町の北端に接する仏光寺通に近い部分は上柳町になる。
 古絵図ではこの小路の北部分を「竹之辻子」、南部分を「随音辻子」としており、明治2年にこれを合併して成立した。絵図によってはこの二つの辻子の全体を「随音辻子」とするものもあるそうだ。
註:この竹之辻子と随音辻子の位置関係については、誤りに気がついたため 2015.9.18 に新記事「辻子 ー瑞音辻子」としてアップしています)
また、「瑞音辻子」を現在の、高辻通の烏丸・東洞院間とする絵図もあるようで、別に「水雲の辻子」と称したこともあるようだ。
 *この琺瑯製仁丹町名表示板は木枠に嵌っているように見える。これについて、マニアの人達は「木製仁丹町名表示板の上に重ねて設置しているようだ」と云っている。


東若松町

 劣化退色して読み辛いが、これと同表示の琺瑯製で綺麗なものが少し北に設置されている。

Photo_3

 もとは「若松町」と称したが、近くに同町名(油小路通の六条・旧花屋町間)があったため、明治11年に東と西を冠して改称した。
 若松町の町名由来は、この地が*寺内町となる前は若宮八幡宮(現在は五条通東大路西入北側に移転している)の境内地で松林があったため。また、近くの「四本松町」は町地になるとき、松林が伐採されて四本だけ残ったことに因むといわれている。

【註】寺内町とは:
 天正19年(1591)本願寺(今の西本願寺)が大坂天満から京都の六条堀川に移転したのに従い、移住してきた町人達が造った町で、本願寺の造営とともに寺内町の建設も進められた。
 西本願寺寺内町は、北は六条通、南は下魚棚通、東は新町通、西は大宮通の範囲である。この範囲に「古町」「由緒町」と称する合わせて13の町があり、他町よりも一段高い格式を持つとされた。
 なお、慶長7年(1602)に徳川家康から烏丸六条の地を寺地として寄進され、別立したのが東本願寺である。


福田寺町
(ふくでんじちょう)

Photo_4

 慶長3年の豊国社造営に際して、東山汁谷(現東山区渋谷)からこの地に移転した福田寺が町名の由来。(その後さらに移転して、今は六条通河原町西入に所在する)
 この福田寺町内の高倉通から西に入って行く小路を「長光寺辻子」と称したが、これは江戸後期に現町名に変わる前の呼称で、すぐ北側の長香寺に由来する。

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