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2011年11月11日 (金)

辻子 ー杓子屋辻子とその周辺ー

杓子屋辻子

Photo_9

 杓子屋辻子というのは、北は南禅寺(南禅寺福地町)から金地院の前を通り、地下鉄東西線の蹴上駅そば(東小物座町)の「ねじりまんぽ」を潜って三条通に抜ける小路です。
 往時の小物座町は京都の東玄関口にあたり、街道(三条通)を挟んで多くの茶店が軒を並べ、京を発つ人・入る旅人がここで休憩するのが慣わしとなっていたそうです。
 ところで、この杓子辻子周辺には維新京都の近代化を進めるにあたり、欠かすことのできなかった施設が沢山あり、それらの多くを見ることができます。
 つぎの仁丹町名表示板は「上京區」となっていますが、昭和4年に「左京区」として分区成立する前の製作になるためです。

Photo_2

 「ねじりまんぽ」とは、インクラインの下を潜っている煉瓦積みのアーチのこと。
 このアーチの南側(三条通側)上部の扁額は「雄観奇想」、北側(南禅寺側)の扁額は判読困難ながら「陽気発処」とあるようです。何れも琵琶湖疎水の事業主唱者である第三代目京都府知事北垣国道の筆になるそうです。

Photo_3

京都の近代化
 明治維新に事実上の東京遷都により、衰微した京都の回復を図り殖産興業を遂行するため、大規模な土木事業が実施された。
 琵琶湖の水を発電や物資輸送・灌漑用水など多目的利用のため、大津の三保ヶ崎から京都蹴上まで水路(琵琶湖疎水)を開削した。工事は明治18年(1885)8月に開始して、同23年(1890)9月に完了した。
 この水力発電により新しく工場が生まれ、日本最初の市街電車(京都電気鉄道)が走るようになった。さらに二十年後にはより多くの水を求めて第二疎水を建設、水道と市営電車を開業して京都の都市基盤が出来上がった。

インクライン
 物資を載せた疎水船をそのまま台車に乗せ、坂道に敷かれたレールの上を移動するようになっており、琵琶湖と蹴上の標高差を解消していた。

Photo_4

第一疎水第3トンネル西口
 立ち入り禁止柵があるため疎水トンネル出口まで遠すぎるのと、手前の樹木枝に遮られてトンネル上部の扁額は見辛いが「美哉山河」とあります。(写真をクリックすると拡大できます)
 なお、この字は三条實実の筆になるそうです。

Photo_5

蹴上発電所
 明治24年(1891)5月、日本最初の商業用水力発電所として稼働した。明治28(1895)2月、この電気を使い京都電気鉄道伏見線が開業し、これが日本初の市街電車となる。

Photo_6

旧九条山浄水場ポンプ室
 明治45年(1912)3月、第二疎水と蹴上浄水場の完成により水道の給水を開始した。さらに同6月には道路拡張と新たな電気軌道の敷設(市電)により都市基盤整理のための三大事業を終える。

Photo_7

水路閣
 琵琶湖疎水の支流で、京都北部地域の灌漑用水として利用するために引かれた水路の一部である。平成8年(1996)、第一疎水関連施設12カ所の一つとして国の史跡に指定された。

Photo_8



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