嵯峨の有栖川
最近、「堀川と堀川通(改訂版)」で堀川の源流の一つである紫野の有栖川に触れたが、今回は嵯峨の有栖川について見てみました。
嵯峨の「有栖川」と「ありすの小径」
川沿いの小道にメルヘンチックな名前が付けられている。
有栖川は別名、斎川(いつきがわ)ともいわれ、伊勢神宮の斎宮(斎王とも云う)に選ばれた皇女が身を清めた場所である斎宮(斎院)に関連するという。なお、潔斎する場所を野宮といい、天皇が即位するたびに斎王を決めるが、斎宮の場所は卜占で決めるため一定しなかったようだ。
因に、有栖とは荒樔(あらす)・荒瀬のことで、禊祓いを行なう斎場を意味しているという。
正徳元年(1711)の刊行で、22巻に及ぶ山城国研究の基本文献ともいえる地誌「山州名跡志」によると、京に流れる有栖川は、かつては賀茂、紫野、嵯峨の三ヶ所にあったそうだ。
賀茂の有栖川= 上賀茂神社本殿の西側を南北に流れ、鴨川に流入していたというが現在では無くなり見ることができない。
紫野の有栖川= 堀川の源流の一つで「若狭川」とも呼ばれた。この川の流域には上賀茂神社・下鴨神社に奉仕する斎王が住む賀茂(紫野)斎院が存在し、現・櫟谷七野神社の辺りにあったのではと考えられている。(先のブログ「堀川と堀川通(改訂版)」をご覧願います)
そして、今回取り上げるのが
嵯峨の有栖川= これが唯一、現在も流れを保っている有栖川である。(上掲の写真)
嵯峨宮ノ元町の下嵯峨街道(三条通)北側に斎宮神社というのがあり、有栖川の近くに野宮を建てて潔斎した斎宮の旧跡であるという。
「源氏物語」の舞台となっている有名な野宮神社も斎宮の一つであるが場所は定かでないという。
斎宮神社
この嵯峨の有栖川は有巣河とも記されたという。源流は大覚寺の北、観空寺谷奥からの渓流で、広沢池から流れ出る水が安堵橋の西で合流、嵯峨野を南流し、さらに南東流して梅津を経て桂川の上野橋下流に注いでいる。
斎宮神社(嵯峨野宮ノ元町)の東方に、嵯峨野神ノ木町と嵯峨野秋街道町の仁丹町名表示板が残っていた。
そばのバス停は「生田口」!?
「嵯峨野」は明治7年に生田村と高田村が合併して成立した。今では「生田」地名は無いが、旧生田村(現在の秋街道町・神ノ木町・宮ノ元町など7町)の人々にとっては通りの良い地域名称なのだろう。
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