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2012年5月 1日 (火)

辻子 ー団栗辻子ー

団栗辻子
 宮川筋一丁目と同二丁目の間を東西に通る道で、現在の団栗通。(団栗橋東詰め川端から花見小路の間)

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 明8年(1788)正月の所謂「天明の大火」は、この団栗辻子の民家が火元となって二日間にわたり燃え続けた大火事で、「団栗焼け」「団栗火事」「申年の大火」とも云われたそうだ。
 京都で発生した火災の中でも史上最大規模のものといわれ、火は宮川筋の沿って南下したが、東の強風のために鴨川を越え、洛中へも飛び火して大災害をもたらした。
 この火災で3万7000軒の家が焼け、6万5000世帯が罹災、御所や二条城・京都所司代、東西両本願寺をはじめ240の寺社も焼け、京都市街地の8割が灰燼となった。これは応仁の乱の戦火による焼失を上回るものと云われている。

界隈の六軒町(仁丹町名表示板)
 建仁寺北門前六軒町の開町当時は、人家が六戸を数えるばかりであったという。これが町名の由来となっているようだ。

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界隈の博多町(仁丹町名表示板)
 ここから上柳町にかけては建仁寺門前の荼毘所(火葬場)であったが、後に人々はその跡地を「墓場町」と呼んだ。これでは聞こえがよくないため、町奉行の中根摂津守正包が命じて「博多町」と改称させたのだそうである。(墓場町→博多町)

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焼死者供養の五輪塔と石碑
 次の写真は、清浄華院(寺町通広小路上ル)にある犠牲者の墓(五輪塔)と建立の謂れを記した石碑。
 五輪塔前の卒塔婆は昨年の東日本大震災犠牲者を追善するため。
 この清浄華院もやはり天明の大火で全て焼失しているが、寛政7年から弘化5年にかけて復興されたそうだ。

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