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2012年5月 2日 (水)

突抜(つきぬけ)ってなに !?

 地名にはその土地の起源や由来が含まれており、更に云えばその背後にある風土、歴史、文化、生活などを今に伝えています。
 そういう意味では、地名もまた歴史遺産であり文化遺産であるということができると思うのです。
 平安京に発する京都の町も、町名からその過去を知ることができます。また、町名と同様に道路名(「辻子」や「突抜」も含めて)も過去を知るために重要です。

 「辻子」については、以前の記事『辻子(図子)について』(`12.1.27)で、その概念と成立の経緯を記しましたのでここでは省略します。

 さて、「突抜」についてですが、これは元々あった道を先へと、突き抜ける形で新たに開くことによって出来た道をいいます。
 つまり、「辻子」の場合は、もともと道の無かったところに、道と道をつなぐかたちで新しく造られた道を云いますが、「突抜」は現に有る道を延長することで出来た比較的短い道をいうのです。ただし、これらの内いくつかの突抜は、さらに延伸して「道」から「通り」へと変化したものもあります。

「六角越後突抜町(現・越後突抜町)」
 現在の越後町・越後突抜町・亀屋町を南北に通貫している。

Photo_2
 六角越後突抜町(現・越後突抜町)は北側にある両側町「越後町」の道を南に延長したもので、名称もここからきている。『京都坊目誌」は、越後町の名称由来を、中世に杉若越後という武人が住んでいた故としています。
 なお、この「越後突抜」とすぐ南の「藤西突抜(現・藤西町)」を南方に延伸して、後の醒ヶ井通という町通りへと変化していきました。

 次の写真は、越後突抜の一部をなす亀屋町に残る仁丹町名表示板です。

Photo_3

 さて、辻子名が町名に変化してゆく時の名称の変化の仕方、これと似た変化が突抜にもありました。それは、
 突抜名がそのままで町名となった。(社突抜町や大原口突抜町など)
 「突抜」の語が省略された形で町名となった。(近衛町や稲荷町など)
 固有名詞が省略された形で町名となった。(衣棚突抜町→突抜町、釜座突抜町→突抜町など)しかし町名が元々ただの突抜町であったところもある。これらは複数が存在するため、道路名を付さなければどこの突抜町なのか判然としない。
 元の突抜地名とは全く別の町名となった。(亀屋突抜→小石町、因幡堂突抜→大堀町など)

「突抜」については、以前に『天使突抜と町名の由来1・2』として記事にしたことがありましたが、今後も興味を引かれたものを取り上げたいと思っています。



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