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2012年6月22日 (金)

辻子 ー観音堂東辻子(撞木辻子とも)ー

 室町通の西裏通りで、錦小路通と四条通の間をいう。現在は飲食店街となっており、夜は賑わっている。
 なお、この辻子の中程を西へ新町通に抜ける小路とあわせて、俗に「撞木辻子(しゅもくのずし)」ともいった。撞木辻子の由来は、その形が丁字形で撞木(しゅもく)に似ていることから名付けられた。

現在の撞木辻子

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 この辻子の中程が観音堂町で、鎌倉時代に観音堂(龍福寺と号した)があり、町名はこれに由来するそうだ。
 寛永から元禄にかけての絵図には、「東くわんおんノづし」「観音の辻子」「くわんおん堂ノつし」とあり、元禄から寛保期の絵図や町鑑では「撞木辻子」「しもくのつし」などとあって、併称されていたといわれる。
 宝暦12年『京町鑑』には、「觀音堂東辻子 俗に 撞木辻子と云 此南の辻は四條通也  此辻子中程より西へ行ば新町へ出る  鉦の鐘木の形によつて俗に斯いふ」としています。

 観音堂町の北(撞木辻子の北端)は天神山町、その北東隣りは山伏山町で、いずれも応仁の乱以前から祇園会には天神山・山伏山を出している。
 山鉾の巡行は7月17日の前祭(さきのまつり)と24日の後祭(あとのまつり)の二度行なわれていた。天神山・山伏山ともに前祭の巡行であったが、現在では交通規制の都合から17日に統一されている。

天神山町と山伏山町(仁丹町名表示板)

「天神山町」
 天神山町は寛永以前には「あられや町」と呼ばれたようだ。火災が起ったとき時ならぬ霰が降って猛火が消えた。一寸二分の天神あられと共に降り、霰天神と号し火除けの天神とも名付けたとされる。このため、ここから出している山鉾を「霰天神山」と呼ぶようになったといわれる。

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「山伏山町」
 山伏山は、応仁の乱以前の山鉾を記した祇園社の記録には「山ふしほく 四条坊門むろ町」とあるそうで、当時は山ではなく鉾であったらしい。

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