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2012年7月 6日 (金)

辻子 ー蛭子辻子と清明辻子ー

蛭子辻子(ゑびすの辻子)

 恵美須神社西側の新道通と宮川筋の間をつなぐ道をで、東山区の下柳町と宮川筋四丁目を通貫している。
 なお、宮川筋の町名は鴨川を宮川と称したことに由来する。
 宮川筋は四条河原の東岸に開かれた祇園新地外六町の一つです。(京都の遊廓シリーズで触れたので説明は省略)
 宮川筋絡みでもう一つ。鴨川岸に水防のため石垣を築いたので、対岸の斉藤町を西石垣町、略して西石(さいせき)。宮川筋一町目を東石垣町、略して東石(とうせき)と呼んだそうである。西石(さいせき)の呼び名は今でも生きていて、西石垣通を「さいせきどおり」と云っている。東華菜館の西側を南行する道である。

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恵美須神社(蛭子とも記した)
 恵美須神社は大坂今宮が本社で、京都に及んだのは江戸時代中期以後のことらしい。正月十日の初戎(十日恵比寿)は多くの参詣者で賑わう。
 栄西禅師(建仁寺を開基)が唐に渡る折、にわかに波風が荒くなって舟中の人々が驚き騒ぐ時、禅師は少しも騒がれず、海上に向って拝まれるとどこからともなくゑびすの御神体が現れ、舟の舳先にお立ちになると、たちまちにして波風が静まった。そのゑびす神の姿を映し止めて、帰朝ののち当寺の鎮守とされるようになった。(縁起譚)

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清明辻子(「柳の辻子」とも称した)

 東山区の下柳町と小松町、宮川筋五丁目と弓矢町の境界を通貫している道。
 つまり、新道小学校の南側の小道であり、松原北裏通ともいう。
 清明辻子の名称はかつて宮川筋五丁目の北に安倍清明の塚が所在したことに因むという。鴨川の防水を祈念した陰陽師安倍清明が五条橋の北に法城寺を建て、清明の死後ここに葬られ、塔婆が建てられたのにはじまるという。
 寛文年間に宮川筋の開設に伴い、清明塚の移転が行なわれたが、明治4年に廃されるた。また、法城寺はそのご三条橋の東に移り、寺名を心光寺と改めている。

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「清明辻子」付近で見た仁丹町名表示板

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