突抜 ー甲斐守突抜ー
この突抜は、油小路通の西裏(油小路の西側にある裏通り)の、中立売通から上長者町通までをいう。
東橋詰町・突抜町・橋本町を通貫しています。
『京町鑑』は、「◯右橋詰町に北ヘ行所は松之下町也 南へ行所 ㋟甲斐守突抜通 ◯堀川東入 東橋詰町」と、甲斐守突抜の位置を記しています。
名称の由来について、『京都坊目誌』は「此地 天正年中黒田甲斐守の邸宅なり。開坊の日に當り。甲斐守突抜町と呼ぶ。維新の際單に突抜町とす。」と記しています。
「東橋詰町」(仁丹町名表示板)
堀川中立売に架かる橋(現・堀川第一橋)の東橋詰にあることが町名の由来です。
「突抜町」(仁丹町名表示板)
元は甲斐守突抜町といった。付近にあった黒田甲斐守長政邸宅に由来することは先に記したとおりです。
現在の突抜町の東に隣接して甲斐守町がある。
「橋本町」の由来
元禄期の絵図に「橋本丁」と出ているようで、町内の人々が金を出して上長者町堀川に橋を架設した。その橋元に所在する町であることが町名の由来という。
なお、この辺り一帯は平安時代の官衙町(官庁街)だったようで、東橋詰町は「女官町」「帯刀町」、突抜町は「女官町」、橋本町は「左兵衛町」にあたるということのようです。
« いよいよ 秋!!! | トップページ | 辻子 −円覚寺辻子・桝形笠屋ノ辻子と周辺ー »
「仁丹町名表示板」カテゴリの記事
- 白雲の練貫座 ー京都機業の盛衰ー(2023.05.19)
- 白川(白河)⇒ 岡崎(2023.03.24)
- 東京の木製仁丹町名表示板 その3(2022.11.25)
- 東京の木製仁丹町名表示板 その2(2022.11.11)
- 東京の木製仁丹町名表示板 その1(2022.10.28)
「町名・地名の由来」カテゴリの記事
- 白雲の練貫座 ー京都機業の盛衰ー(2023.05.19)
- 宝永大火と京都の整備改造(2023.04.07)
- 白川(白河)⇒ 岡崎(2023.03.24)
- 七福神信仰と町名(2022.08.19)
- 行願寺(革堂)(2022.07.08)
「辻子(図子)・突抜」カテゴリの記事
- 辻 子 ー宇賀辻子ー (補訂)(2019.07.19)
- 突抜 ー社突抜町ー(2019.06.07)
- 突抜 ー相国寺突抜ー(2019.03.08)
- 突抜 ー常盤井殿突抜町ー(2019.02.22)
- 突抜 ー稲荷町突抜ー(2019.01.11)
コメント