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2012年9月21日 (金)

六角獄舎そして山脇東洋と古高俊太郎

六角獄舎址
 写真をクリックすると拡大して、駒札の説明書きが読めます。

Photo_6

 六角獄舎は現在の中京区六角通神泉苑町西入因幡町、武信稲荷の南側にあった。
 平安時代の獄舎は、内裏の東側に左獄(東獄)、西側に右獄(西獄)と二ヶ所あった。
 現在の西ノ京円町にあった右獄は早くに廃止された。
 左獄は現・西洞院通出水下ル丁子風呂町(今の京都府庁西側)辺りにあったが、獄舎があったことから「獄門町」と呼ばれ、その後「毘沙門町」と改めたが、寛永14年の洛中絵図には「丁子風呂町」と現町名が見えると云う。丁子風呂という風呂屋があったのが由来とするそうだ。
 左獄はその後、秀吉の命令で現・小川通押小路下ルの下古城町に移されたが、宝永5年(1708)の大火で類焼したためこの六角の地へ移った。

丁子風呂町(仁丹町名表示板)

Photo_2

 幕末の頃、国事に奔走して捕われた多くの志士が六角獄舎に収用されていた。しかし、元治元年(1864)蛤御門の変による兵火で「どんどん焼け」と呼ばれた大火となる。
 このとき町奉行は、この地に及びそうになったときには重罪人は全て切り捨てよと命じた。そして、「破獄を企てた」との名目で志士平野国臣ら33人を処刑したという。

蛤御門に残る弾痕

Photo_7

山脇東洋
 江戸時代中期の医者で、宝暦9年(1754)京都所司代の許可を得て六角獄舎刑死者の解剖をおこなうことにより、初めて人体内部の構造を知って、わが国初の解剖記録「蔵志」を著した。
 日本の医学近代化に大きく貢献し、杉田玄白・前野良沢などに影響を与えた。
 東洋は解剖した刑死者の霊を弔うため、五臓六腑のある阿弥陀像を誓願寺に寄進したという。この誓願寺総墓には東洋自身の墓もある。

Photo_8

古高俊太郎
 なお、このときの処刑者には池田屋騒動の発端となった勤王派志士の古高俊太郎も含まれていた。
 四条木屋町上ル真町の薪炭商枡屋(古高俊太郎)を捕えた新選組は、壬生屯所前川邸(現・壬生賀陽御所町)の土蔵において土方歳三による過酷な拷問を受けた古高の自白から、尊攘派志士が謀議中の池田屋を急襲した。(三条通木屋町西入には「池田屋騒動跡碑」が建っている)
 ただし、尊攘派は古高俊太郎救出のために池田屋で会合を持ったが、事件そのものは佐幕派と尊攘派の抗争の中、新選組がその威信高揚と共に、尊攘派の威信失墜を狙った捏造があり、冤罪だとの説もあるようだ。

新選壬生組屯所址 旧前川邸
 坊城通綾小路東南角で平屋建の長屋門のある家。入口右手の格子造り出窓は新選組が造作したと云う。当時は壬生郷士の前川家屋敷だった。

 

Photo

壬生賀陽御所町(仁丹町名表示板)

Photo_9

 壬生といえば思い浮かぶのは、壬生寺と壬生狂言・新選組・壬生菜といったところか。
 京都盆地は賀茂川など北部から流れ込む河川の扇状地であり、平安京の左京は水はけが良いが右京は伏流水の湧き出る低湿地であった。(この地形的特徴が平安京右京の早く衰退した理由)
 壬生はこのような土地柄から水生(みふ)と称され、これが後に壬生(みぶ)に転訛したと云われ、これが地名の由来となっている。
 新選組の前身、近藤勇・土方歳三等の試衛館組などが上京して、最初に宿舎としたのがこの壬生界隈であった。八木邸では芹沢鴨グループが粛正され、筋向かいの前川邸は古高拷問と新選組副長である山南敬助切腹の舞台となった。



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コメント

コメントをありがとうございます。
そうですか、以前は仁丹が二枚並んで付いてましたか。
現在は製袋業者の所有となっていて、リフォームの折りに取り外されたのでしょう。
仁丹の表記形式からすれば、次のように記されていたはずですね。

北面して、「下京區 賀陽御所町 綾小路通坊城東入」
西面して、「下京區 賀陽御所町 坊城通綾小路下ル」 

古い写真によれば、壬生の屯所跡の建物の一番手前の角っこの柱にも、仁丹町名表示板が2枚、90度の隣り合わせで設置されていたみたいですよ。

まさか、残されていないとは思いますが。

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