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2012年10月 5日 (金)

辻子 −円覚寺辻子・桝形笠屋ノ辻子と周辺ー

円覚寺辻子

 今出川通寺町の西、三筋目を北行する鍵の字形の小道の南部分。
 革堂内町と下塔之段町の南部分を南北に通貫する。
 『京町鑑』に、「あみだ寺横町下ル ▲下塔之壇町  此南町半町ばかり南にて行きあたり少し東へ入叉南へ行所を  ▲圓覺寺辻子  此南の横町は今出川通也」とあります。
 辻子の名前は、辻子東側の柳風呂町にある円覚寺(真宗)に由来する。

円覚寺

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 革堂内町の町名は、天正年間に油小路一条北の革堂前から移転してきた住人が、前住地に因んで名付けたと云う。
 幸神町(さいのかみちょう)の町名は、塔ノ段通北側にある幸神社(さいのかみしゃ)に由来する。
 この幸神社の元は出雲路の道祖神と称されて、賀茂川畔(現・青竜町)に祀られていたそうです。

幸神町の仁丹町名表示板

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 ついでながらもう一つ、この幸神町の西に隣接して「上塔之段町」があります。
 この町名は、足利義満が父義詮の供養のために建立した相国寺の大塔基壇があったことに由来すると云われるが、塔そのものは応仁の乱で焼失したらしい。この塔は九重塔で高さが360尺あったというから、当時の竹尺は現在の曲尺(かねじゃく)の1.02尺に相当するので、約110m程の高さの正に大塔だったようです。

上塔之段町の仁丹町名表示板

_01_3


桝形笠屋ノ辻子

 寺町通東裏の桝形から北行して一筋北の通りまで。三栄町と表町の境界、一真町と二神町の境界を通貫している。
 『京都坊目誌』の上巻九に、「◯三榮町 寺町通一筋東東今出川一筋桝形とも上る町を云ふ(略)本町一に桝形笠屋ノ辻子と字す」とある。
 なお、同書の首巻之五には「◯笠屋辻子通 北は鶴山町横道に起り。南は白梅辻子に至る。今出川以南を中筋通と稱す。」と記す。
 これは紛らわしいようだが、三栄町の桝形笠屋ノ辻子から南、今出川通を越えて新夷町の白梅辻子まで、この通名称は笠屋辻子通と称していたと云うのでしょうか。

_01_4
 これらの町はいずれも立本寺(りゅうほんじ)の跡地にできた町です。
 四条櫛笥にあった立本寺は豊臣秀吉の京都改造でこの地に移され、その後、宝永の大火で内野一番町(現・七本松通仁和寺街道上ルの一番町)に移転しています。
 この立本寺には、かつて『辻子 ー下ノ森通沿いの辻子 3の1ー』に書いたように、吉野太夫・灰屋紹益などの墓がある。

 三栄町は、立本寺跡三丁目と称していたが明治2年に現町名となるときにこの「三」の字を取ったと云う。
 表町は、古地図には「立本寺前丁」「元立本寺跡表町」「立本寺跡前丁」などとあるようで、町名は立本寺の表に位置したことに由来する。現在、寺町通の西側にある立本寺前町はもちろん別の町ある。
 一真町は、明治になって立本寺跡一丁目から改称している。
 二神町は、古地図に「新カウ神町」「荒神町」などとある。明治になり立本寺跡二丁目と新荒神町が合併して、「二」「神」の一字ずつを取って二神町としたようだ。(なんと安直な!けれどもこの手の町名は多いのです)

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