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2012年11月23日 (金)

実在しない町名 3 ー仁丹町名表示板からー 

 それは、「八條二人司町」などです。

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 明治22年(1889)「市制町村制」の施行(*「明治の大合併」)により、葛野郡の中堂寺村・八條村・東塩小路村・朱雀村の4村が合併して大内村が成立し、旧4村はこの大内村の大字(おおあざ)となった。

☆★☆ 市町村合併について ☆★☆

 市町村合併による町名(地名)の変更や消滅は、全国的に画期となる時期が三度あった。
 明治の大合併・・・明治22年(1889)が最初のものであり、約300〜500戸を標準規模とした合併が行なわれ、全国に7万1千余りあった町村が1万6千程に減少した。
 昭和の大合併・・・昭和28年(1953)の「町村合併促進法」、昭和31年の「新市町村建設促進法」により推進され、町村は概ね8千人以上の住民を有することが標準とされた。このため、全国の市町村数は昭和28年10月の9868から昭和36年6月の3472まで減少した。
 平成の大合併・・・平成12年(2000)に定められた『行政改革大綱』の「市町村合併後の自治体数を1000を目標とする」方針のもと推進され、平成17・18年に合併のピークを迎えた。これが平成22年3月末の合併支援策打ち切りで、11年間にわたる合併は一区切りを迎え、平成11年3月末に3232あった市町村数が、平成22年10月1日には半数近くの1742にまで減少してしまった。
(数値は地方自治情報センターなどのデータを参照した)
 なお、歴史的な地名の多くが変更されたり、消滅した原因となった法律に、昭和37年(1962)制定の「住居表示に関する法律」があり、これは地名保存運動の巻き起こるきっかけとなった。

☆★☆脱線しましたが本題に戻ります☆★☆

 大内村八條の各町は大正7年下京区に編入された。そして町名に「八條」を冠称することとなった。
 しかし、二人司町・西酢屋町・諏訪開町・夷馬場町・和気町・観喜寺町・小坂町の7町は、昭和36年以降は冠称の「八條」を廃止した。
 したがって、下京区で現在もなお「八條」を冠称するのは、八条坊門町の1町だけとなっている。

 そして、源町・寺内町・内田町・四ツ塚町は、昭和30年に下京区から分区して成立した南区に属している。これらの4町は今もなお「八條」を冠称している。

 ということで、下京区の「八條○○町」は昭和35年までの公称町名であって、現在では冠称の「八條」を除いたものが公称町名となっている。

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