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2012年12月21日 (金)

京 都 ー自転車道周辺を巡るー 3

 さて、次に嵐山から松尾辺りへのんびりとポタリング・・・

渡月橋と平安期以前の古道

 渡月橋がいまの場所に架橋されたのは、角倉了以が保津川の開削工事をした慶長11年(1606)のことで、それ以前には現在の場所より100mほど上流に架橋されていたと云われる。
 橋の南に法輪寺があったので法輪寺橋ともいったようで、のちに亀山上皇が、「くまなき月の渡るに似る」として渡月橋と命名したという。
 法輪寺は虚空蔵さんの名でよく知られ十三参りで有名、行基の創建で、大堰修復と渡月橋を架けた僧道昌が虚空蔵像を彫り安置したと云う。
 なお、のちの応仁の乱では法輪寺門前も戦場となったそうだ。

法輪寺多宝塔

Photo_15

 嵯峨天龍寺の辺りを古くは橋頭(はしもと)郷と云ったようで、それはこの橋があったことによるものといわれる。その頃の大堰川に橋の架かっていたことを示す奈良時代(742年)の文書があるそうだ。
 大堰川北岸の臨川寺という古刹の西側に大井神社という小社がある。堰神社または大橋神社ともいわれ、秦氏が大堰を造ってこの地を開拓した時、治水の神として祀ったのが起こりという。

 ところで、平安時代以前の古代洛西の地に、幹線道路として使われた三本の古道があったらしい。
 東西方向の幹線道路が2つあったと見られ、その一つは、近江の大津京(滋賀里・南滋賀・錦織あたり)から、山中越(志賀越・白川越)・北白川を経て、一條大路付近から西方の周山街道・嵯峨に通じる道路。
 そしてもう1つが、二條大路の延長で、木嶋神社(蚕の社)や広隆寺辺りを経て嵯峨・嵐山に至る幹線道路である。
 この道と山崎・長岡・向日・樫原方面から西山丘陵に沿って北上し、京へ入らずに四条街道を経て松尾・嵯峨に達する幹線道路(四条街道)が渡月橋で結ばれていたそうだ。

月読神社前の道
 この辺りの東方を古道(四条街道)が通っていた。

Photo_17
 *月読神社は今では松尾大社の境外摂社となっているが、創建は極めて古く『続日本紀』には、文武天皇の大宝元年(701)四月に出された勅の中に、「山背国葛野郡の月読神(月読神社)、樺井神(樺井月神社=今は水主神社の境内社)、木嶋神(木島神社=蚕ノ社)、波都賀志神(羽束師神社)等の神稲、今より以後、中臣氏に給う」とあるそうで、このことからそれ以前に鎮座していることが明らかとされる。

松尾大社

Photo_18

 松尾大社は洛西で最も由緒のある神社で、洛東の八坂神社とは四条通の西と東で向かい合う形になっている。
 祭神二座のうち一座は大山咋神で、上賀茂神社祭神である賀茂別雷神の父神にあたり、その序列は伊勢神宮・石清水八幡宮・賀茂社に次ぐ第四位であったそうな。他の一座は市杵島姫命とされる。
 松尾大社は秦氏の総氏神であり、西の「猛霊」および東(上・下賀茂社)の「厳神」と並び称されたという。
 そして、松尾の神は中世以来、酒造の守護神としても信仰され、境内の亀ノ井の霊水は現在も酒造業者が仕込水に混ぜて使っている。

亀ノ井

Photo_19

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