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2013年1月 4日 (金)

辻子 ー蛸藥師辻子と大竜寺辻子ー

あけまして おめでとうございます
 いつもこのブログを見てくださっている皆さま
 今年もよろしくお付き合いくださるようお願いします
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 今回は、『京 都 ー自転車道周辺を巡るー 5』となるところを、ちょっと一休みして久々の「辻子シリーズ」としました。

大竜寺辻子

 裏寺通りを四条から北行してOPAの裏手辺りまで。御旅町、裏寺町・中之町の境界を通貫している。
 裏寺町にあった大竜寺(昭和51年に右京区梅ヶ畑高鼻に移転)へ行く道筋であったことが辻子名の由来。この大竜寺の別堂に烏芻沙摩明王(うすさまみょうおう)を勧請したことから、烏須沙摩辻子(うすさまのずし)の別称もあったと云う。
 『京都坊目誌』の「▲御旅町」の項にも、「北側其東の方より裏寺町に通する小街あり。地は本町及ひ中之町に屬す 之を烏須沙摩ノ辻子と字す」とあります。
 同書「◯大龍寺」の項でも、「寺門南面す。四條通に向ふ裏寺町南より四條通に至る間を。地は中之町に属す俗に烏須沙摩ノ辻子と字す。本寺内に烏須沙摩明王ノ像を安する故也」と記しています。

Photo

 辻子の道筋に所在する町名の由来は、「御旅町」は南側に隣接する貞安前之町にある八坂神社御旅所から、「裏寺町」は寺町通の裏手にあたることから、「中之町」は金蓮寺と歓喜光寺の境内地であったが、明治4年に両寺を收公のうえ道路(新京極)を開いて、余地を民間に払い下げ、旧寺地内であったことから中之町と名づけたという。
 なお、先斗町芸妓による「鴨川踊り」はこの大竜寺横で始められたが、明治19年以降一時中断していたそうだ。しかし、明治28年平安奠都千百年を記念して、先斗町歌舞錬場が新築されて再開された。

 

蛸藥師辻子

 蛸薬師通の新京極から河原町通間。東側町、裏寺町、奈良屋町と塩屋町の境界を通貫している。

 *『京町鑑』の「寺町通」を見ていたところ、次のような記述を見つけました。
「たこやくし下ル 圓福寺前町 此町東側北にたこやくしとて名薬師あり(省略)此南に辻子有  川原町叉四條裏寺町へ出る  是を俗にたこやくしの辻子といふ」
 したがって、辻子の区間(冒頭のアンダーラインを付した個所)を、次のように部分訂正します。
「蛸薬師通の新京極から河原町通間」を「蛸薬師通の寺町通から河原町通間」に変えます。(2015.8.26に部分訂正)
 

Photo_3

 かつて、室町通二条下ルにあった永福寺の本尊薬師如来が境内池中の島に安置されていたので、水上薬師または「沢薬師(たくやくし)」と称されたのが、後に誤って「蛸藥師」になったと伝わる。
 そしてその永福寺は、豊臣秀吉の京都改造時で東京極通の東側に寺院街(寺町)ができた折、現在地に移転してきて「蛸藥師」の名で親しまれた。なお、永福寺の所在した旧地には、蛸薬師町の町名が残っている。
 その後、天正19年(1591)すぐそばの妙心寺へ合併された。今は妙心寺境内の一角に蛸藥師堂は所在する。
 「蛸藥師辻子」と「蛸藥師通」名はこれに由来する。

 「塩屋町」の由来は、高瀬川が開通した時、諸国の塩商が移住してきたことによると云い、坂本龍馬・中岡慎太郎が京都見廻組に暗殺された醤油商近江屋はこの塩屋町にあった。

仁丹町名表示板
 次の二枚は蛸藥師辻子のすぐ近くにあるものです。

Photo_4

 

Photo_5

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