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2013年2月 1日 (金)

京 都 ー自転車道周辺を巡るー 8

 流れ橋の傍にある四阿で一休みしたあと、ふたたび木津川沿いの自転車道を上流の京田辺市方面に向います。

Photo_11

木津川の渡し場跡

 「草内(くさじ)の渡し」(旧田辺町草内)
 ここ草内と井手町多賀を結んでいた木津川の渡し場で、古くから渡船があったようだ。河内国からの街道は草内の渡しで木津川を越えると、奈良街道につながっていた。また、青谷川沿いに北東へ行くと宇治田原を経て近江国に至るが、近江へ向う最短コースであったと云う。

Photo_2

 周辺には「飯岡の渡し」「富野の渡し」など幾つもの渡しがあったそうだが、「草内の渡し」が最も重要な位置を占め、古くから知られてきたようだ。

 「飯岡(いのおか)の渡し」(旧田辺町飯岡)
 ここ飯岡と対岸の旧井手村を結ぶ渡しで、飯岡山から田辺村に通じる道があった。

Photo_3

 なお、木津川の渡し場の一つに、「草内の渡し」の少し上流で現在の京田辺市から精華町に入ったところ、菱田と東岸の山城町綺田(かばた)を結んで「下狛の渡し」(「薮の渡し」とも)という渡しもあったそうだ。この渡しは木津川東岸の大和街道と、西岸を歌姫越え(奈良)で行く奈良街道(郡山街道)の分岐点として賑わったという。

飯岡(京田辺市)

 旧田辺村の飯岡は、古くは「咋岡(くいおか)」といった。木津川堤防のそばに小高い丘の飯岡山がある。
 これは「馬咋岡(うまくいおか)」「馬咋山」と云われていたものが、「うま」が抜けて「咋岡(くいおか)」となった。そして、さらに「くいおか」の「く」が「い」に変化して「いいおか(飯岡)」になったともいわれている。飯岡山には咋岡神社がある。

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 そして、その飯岡(いいおか)が、さらに飯岡(いのおか)に変化したといわれている。
 地名(に限らず「ことば」)は、短縮化されたり、本来の音がなまって変化(転訛)してきた。
 したがって、「飯岡」地名変遷のこうした説明もあながち牽強付会の説、荒唐無稽の話とすることは決してできない。このあたりが地名の面白いところなのでしょうか。

 飯岡山という低い丘のような山の中腹に咋岡神社が鎮座し、その境内には歌碑が建てられていました。

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春草 馬咋山自 越来奈流 雁使者 宿過奈利
 春草を馬咋山ゆ越え来なる雁の使ひは宿り過ぐなり・・・と読むようです。

 これは、万葉集の卷九に「泉河辺作歌」としてある歌で、柿本人麻呂の作と見る向きもある。
 泉河は今の木津川のこと。「春草を馬が喰う、馬咋山を越えてくるらしい雁の使いは、便りを届けずに宿を過ぎ去る」といった感じでしょうか。

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