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2013年2月 8日 (金)

京 都 ー自転車道周辺を巡るー 9

 嵐山をスタートした自転車道も、いよいよゴールの泉大橋に近づいてきました。

Photo_18

 京都府の、そして南山城の最南部に位置するのは相楽(そうらく)郡です。

「相楽」の由来 

 古代には相楽(さがらか)、近世には相楽(さがなか)といったそうだ。
 『古事記』垂仁天皇の段の記述による相楽郡の地名由来は、「甚凶醜きに因りて」国へ返されることとなった円野比売が「山代国の相楽(さがらか)に至りし時、樹の枝に取り懸(さが)りて死なむとしき。故、其地を号けて懸木(さがりき)と謂ひしを、今は相楽と云ふ」という話からきていると云う。
 『日本書紀』の記事中にもこれと類似した話があり、以前にブログ記事『西国街道』で触れたことがあります。それは、相楽の話と同じように醜い竹野媛が丹波国に返される時、輿から深い谷へ自ら「堕ち」て命を絶ったので、「堕ち国(おちくに)」が「乙訓(おとくに)」になったとするものです。

泉河(木津川) 

 木津川は古くは泉河といった。語源からいうと、イズミ(泉)はイヅミヅ(出水)が変化したものだそうで、泉河は洪水の川を意味しているという。古文献に見える木津川の呼称として他にも、和訶羅河=わからがわ(古事記)、輪韓河=わからがわ・山背川=やましろがわ(日本書紀)、鴨川(万葉集)などと記されたようです。
 そして、木津川は古くから近江・山城・大和を結ぶ水上交通路として開かれていた。
 三重県から京都の南山城村・笠置町を西流してきた木津川は、木津でU字型に大きく北へ向きを変える。
 そこでは水が淀み、上流で伐り出して流された材木の筏を引き上げるのに都合が良い。そこで、引き上げられた材木の貯木場が「木津」です。
 また、木津川は木材輸送だけではなく、木津川とつながる淀川・桂川・宇治川・琵琶湖などの諸津とを結ぶ交通・交易の重要な幹線でもあったようです。

 泉川は古来、よく歌に詠まれており歌枕にもなっている。
『万葉集』巻六に、
 泉川行く瀬の水の絶えばこそ大宮所うつろひ行かめ

『千載集』には僧都範玄の、
 何事のふかき思ひに泉川そこのたま藻としずみはてけむ

『新古今和歌集』には中納言兼輔作で小倉百人一首にも選ばれた、
 みかの原わきて流るゝいづみ川いつみきとてか恋しかるらむ

 「みかの原(瓶原)」は加茂町にあり、天平13年(741)聖武天皇はここに恭仁京(くにきょう)を造営して遷都する。しかし、この恭仁京は僅か三年程で廃されてしまう。その後、難波京にと遷るが、天平17年(745)には再び平城京に戻された。

木津の渡し(泉河の渡し)

 木津川北岸の上狛と南岸の木津を結ぶ渡し。行基の建立した四十九院の一つである泉橋寺門前の川岸が渡し口であったそうで、ここに橋を架橋したのも行基だと云う。
 この渡し口に、明治26年和泉橋が架けられたが昭和28年に流失、その後に現在の泉大橋が架けられた。

現在の泉大橋

Photo_17

 嵐山をスタートして、ようやくゴールの泉大橋に辿り着きました。
 しかし、橋を対岸(北岸)に渡った上狛(木津川市山城町)は、古代山城の中心地であったところなので、もう少しだけ探索してみました。
 次回は、それをもってこのシリーズの最終回とします。

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