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2013年3月 2日 (土)

辻子 ー下御霊辻子と革堂辻子ー

下御霊辻子

 寺町通丸太町の南一筋目を東行する小道(通称・下御霊通)で、新烏丸通までの間。この辻子は下御霊前町と行願寺門前町の境界となっている。
 この辻子名と下御霊前町の名称はもちろん下御霊神社に由来しています。行願寺前町は行願寺(通称の革堂の方が有名)があったことによる。

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下御霊神社

 下御霊神社の祭神は八所御霊と云われ、崇道天皇=早良親王(藤原種継暗殺事件に連座して幽閉中に憤死した)、伊予親王(平城天皇即位の際に謀反の疑いを受けた)と母の藤原吉子、橘逸勢(伴健岑らと恒貞親王を擁して謀反を図り伊豆に流された)、文室宮田麻呂(橘逸勢に続いて謀反の罪に問われ伊豆に流された)、藤原広嗣(九州へ左遷後に反乱を起こして殺された)、そして吉備真備と菅原道真の八座が祀られている。
 不慮の死を遂げた人達の御霊(怨霊)の祟りを防ぎ、鎮魂のために祀られた。

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行願寺(革堂)

 行願寺は革堂とも呼ばれました。行円が建立し、元は一条通小川上ル辺りにあったようで、一条北辺堂と称したが後に行願寺(通称・一条革堂)と改めた。
 行円は叡山の横川に本拠を置いた聖であったらしく、常に皮衣をまとっていたので皮聖・皮上人と呼ばれました。

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 行願寺(革堂)のあった旧地、小川通一条上ル一筋目を西行する小路で油小路通間、革堂町・革堂仲之町・革堂西町を通貫しています。近世までは「革堂辻子(こうどうのずし)」と称された。


革堂辻子

 この革堂辻子の近辺には他に幾つもの辻子がありますが、それらは機会を改めて別の記事にしようと思っています。

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仁丹町名表示板
 さて、ふたたび下御霊神社界隈へ戻ります。この辺りにも多くの仁丹町名表示板が残っていますが、そのいくつかを紹介しておきましょう。

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 この「石屋町」は、町名・町名表示板ともに珍しいと思います。というのは、明治の末年に丸太町通が拡幅される際、通りの南側にあった石屋町の町地はその殆どが収用されてしまい、極めて狭い町となってしまいました。
 現在は、この町名表示板のあるワインショップと東隣の古道具屋、その2軒の家地を残すだけとなっているようです。

 その他に3点
 右端の電柱に縛り付けられ、文字も薄れてしまっているのは、「上京區 丸太町通新烏丸西入 信富(シントミ)町」です。

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