2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

リンク集

無料ブログはココログ

« 鴨川とその周辺 その2 | トップページ | 鴨川とその周辺 その4 »

2013年3月23日 (土)

鴨川とその周辺 その3

荒神橋

 はじめに架橋されたのは慶応3年(1867)といわれるが、現在のものは大正3年(1914)に竣工したようです。
 この橋の西方、荒神口通河原町西入にある清荒神(護浄院)の付近が京七口の「荒神口」であったとされ、名称の由来となっている。近世以前から京への出入り口の一つであり、荒神河原を渡り吉田を経て近江の坂本へと抜ける、志賀越え(山中越え)の出入り口となっていたことから、「吉田口」「志賀道口」ともいわれた。また、今道越えと称されたこともあり、この関係で「今道の下口」ともいわれたようです。

Photo_6


旧・京都織物会社

 この煉瓦造りの建物は旧・京都織物会社の社屋で、明治20年から昭和43年まで撚糸・染色・織物まででの一貫製造をおこなっていたそうです。
 明治期に新工業奨励の一つとして京都府が始めた織工場を引き継ぎ、ヨーロッパの最新技術を導入して、日本最大の近代的織物工場が設立された。
 この建物、近衛通川端東入ル吉田下阿達町(荒神橋東詰め・川端通東側)に今も健在で、京大東南アジア研究センターの図書室となっています。しかし、以前は川端通から煉瓦造り建物が見えていたのに、今では稲盛財団記念館なる殺風景な今風建物がその建築物前面に接するように建てられてしまい、残念ながら表からは全く見えない。したがって、旧京都織物建築の正面側からの写真を撮ることができません。また、裏側にも別の建物があり、引きがきかないため全景写真を撮ることはできない。(この写真は裏側から撮影した)

Photo_8

Photo_10


夷川発電所
(関西電力)

 琵琶湖疎水(第二疏水)が鴨川東岸に至る手前に、現役で頑張る水力発電所があります。
 明治23年(1890)琵琶湖(第一)疎水が完成、翌年に日本初の事業用水力発電所として蹴上発電所が稼働していた。しかし、電力需要が増加したため明治45年(1912)に第二疏水を建設して、大正3年(1914)に夷川発電所とともに鴨川運河(疏水)下流の伏見に墨染発電所が建設された。
 これは、明治末から大正始めに京都市の都市基盤整備事業としていわゆる三大事業(第二疏水開削・上水道整備・道路拡張と市電敷設)の一貫として行なったものです。

Photo_11

鴨川運河(疏水)

 疏水の水は、その一部は鴨川に流れ込んでいますが、ほとんどが「鴨川運河」となって鴨川東岸を南流しています。冷泉通から御池通までは地上を流れるのを目にできるが、その先(南)は塩小路通まで暗渠の中を流れています。
 塩小路で暗渠から出た疏水は、師団街道・本町通の傍を流れて墨染発電所に至り、最終的には伏見市中を抜けて伏見港(三栖閘門)で宇治川に流入しています。

Photo_13

« 鴨川とその周辺 その2 | トップページ | 鴨川とその周辺 その4 »

町名・地名の由来」カテゴリの記事

カメラ散歩」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 鴨川とその周辺 その2 | トップページ | 鴨川とその周辺 その4 »