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2013年3月 8日 (金)

鴨川とその周辺 その1

 久々にシリーズものです。今回は鴨川沿いを見て廻ることにします。

 鴨川の東岸を南北に走る川端通の名称は、いうまでもなく川端に沿った道に由来する。現在の川端通は南は塩小路通、北は出町から高野川沿いにさらに北行し、白川通との合流点が終端となっているようです。
 しかし、今回は川端通のうち、高野川と賀茂川が合流して鴨川と名を変える辺り、糺森(ただすのもり)から南を塩小路までをうろついてみようと思います。


賀茂川と鴨川

 賀茂川(鴨川)は北区の雲ヶ畑を源流とし、途中で多くの支流を合して南下、上賀茂神社の西側を東南へ下って出町で高野川と合流しています。その後は市内を南流して、九条辺りで南西に向きを変えたあと、伏見区の下鳥羽で桂川に流入しています。
 そしてその呼称ですが、高野川との合流点までを賀茂川、それより下流を鴨川と書き分けるのが一般的な表記法のようです。賀茂川と高野川の合する河合の一帯を糺(ただす)河原というが、河合河原とも呼ばれたようで、「下鴨」の地はこの二つの川に運ばれた土砂の堆積地です。


賀茂川と高野川の合流点

 左方からの流れが賀茂川で、これに右方から高野川が合して鴨川となる。中央に見える森は糺森(ただすのもり)で、左手の橋は出町橋、右が河合橋です。

Photo


鴨 川

 平安遷都時、京都盆地の鴨川扇状地は高野川・白川からの土砂も加わり、南は九条辺り、西は西大路付近まで達していたようです。その扇状地を流れるかつての鴨川は、西岸が現在の寺町通、東岸は現・東大路通に至る東西の幅約700mもの河原を、大雨による大洪水のたびに流路を変えて南流していたものと考えられています。
 平安時代初期の天長元年(824)に朝廷は防鴨河使という官職を設けて治水に当たらせたが、鴨川の洪水は無くならなかった。このような鴨川を、白河院は「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と、自分の意のままにならないものの一つに挙げているそうです。


鴨河原

 古代の鴨川は祓い・禊の行なわれる川でもあったが、流れの幅が広く両岸には大きな河原が形成され、これが合戦の場や庶民の往来の場にもなったということです。
 史料に河原として名前の見えるものに、糺河原・荒神河原・二条河原・三条河原・四条河原・五条河原・六条河原・七条河原・八条河原などがあるそうです。
 平安末期から近世の初め頃までは処刑場や首晒しの場でもあったようです。豊臣秀吉は甥の秀次(母は秀吉の姉)に関白職を譲り、左大臣を兼ねさせて自分は太閤と称しました。しかし、秀吉に跡継ぎの秀頼が誕生したために、秀次を「謀反の罪」の名目で自害させ、彼の妻妾子39人を三条河原で処刑するという暴虐をおこなっています。


広場としての河原

 河原は「広場」へと変わってゆき、世の中や時の権力者を風刺した内容の匿名文書である落書(らくしょ)が張り出される場ともなっていた。とりわけ、建武2年(1335)8月に新政を強烈に皮肉った、有名な「二条河原の落書」が知られる。
 それは、「此比都ニハヤル物、夜討強盗謀綸旨、召人早馬虚騒動、生頸還俗自由出家、俄大名迷者、安堵恩賞虚軍・・・」という調子で延々と「京童ノ口ズサミ」が続いたようです。
 また、その広場は中世末から近世にかけて大きく広がり、三条・四条・五条・六条などの河原には芝居小屋・見世物小屋などが並び京都における演劇興行の中心地ともなっていったそうです。

Photo_2


鴨川の治水

 先に書いたように、古代以来、鴨川は大雨のたびに洪水を引き起こしてきたが、寛文9年(1669)京都所司代の板倉内膳正重矩による大規模な鴨川の改修「寛文新堤」築造がおこなわれ、現在の今出川通と五条通の間の鴨川右岸と左岸に石垣を築いて洪水の防止を図った。この時、西岸に造成されたのが先斗町で、四条通から南の木屋町通までを西石垣(さいせき)通と呼んでいるのは、この石垣に因んでいます。
 なお、河原町通の名称は、かつて鴨川の河原であったことによる。天正19年(1591)に豊臣秀吉が築いた御土居の東側土手はこの鴨川西岸に沿う形で設けられ、堤防として治水目的もあったようです。

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