2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

リンク集

無料ブログはココログ

« 鴨川とその周辺 その6 | トップページ | 辻子 ー天性寺辻子と新辻子ー »

2013年4月19日 (金)

鴨川とその周辺 その7

正面通と正面橋

 

 これは鴨川に架かる正面橋ですが、西方の高瀬川に架かる橋も正面橋と称している。
 正面通は、方広寺大仏の前(正面)から西方に通じる通りであることから、大仏正面通と称していたが、大仏を省略して正面通となった。
 なお、宝暦12年(1762)刊の「京町鑑」では、東本願寺百間屋敷(現・渉成園=枳殻邸)から西本願寺門前までの間を、別名「御前通」としているとのこと。したがって、この御前通は正面通のうち、東本願寺と西本願寺の寺内町域内に限る通称であったことが判る。言うまでもなく、この御前通は北野天満宮から九条通に至る御前通とは全く別の通りです。
 また、西本願寺門前から東行する道を「ミドウスジ」としている古絵図もあるが、御影堂に行き当ることを由来とした通称なのでしょう。(大坂の西御堂・東御堂のある通り名を御堂筋としたのと同じ)

 

鴨川に架かる正面橋

 

Photo_34

 

高瀬川に架かる正面橋(志よめんはし)
 「志よめんばし」ではなく「・・・はし」としているのは、濁ることを嫌ってのことのようです。
 つまり、豪雨で川が増水すると濁ることから、増水により溢水・浸水して災害になることを忌避してのことだとも云われます。

Photo_35

 


塩小路橋と塩小路通

 

 塩小路通の名称は平安京の「塩小路」に由来する。しかし、この平安京の塩小路は現在の木津屋橋通(生酢屋橋通)に該当するようです。
 そして、現・塩小路通は平安京の八条坊門小路に該当するそうだが、どうも塩小路(木津屋橋通)と八条坊門小路(三哲通)は混同されていた模様。
 八条坊門通・三哲通と旧称したこの辺りは中世にはさびれて、寛文5年(1665)刊の『京雀』には殆ど田畑で町家なしとあって、通り沿いの町として「金替町」と「三てつの前町」が記されているそうだ。

 

Photo_37

 

 今ではその名を殆ど聞くことのない「三哲通」だが、JRバスの停留所名に「三哲」(塩小路通堀川東入のオムロン前)が生き残っている。ということで、現・塩小路通の別称が三哲通なのです。
 ところで、「三哲」の由来については、三哲なる人物の屋敷があったことによると云うが、この三哲を渋川算哲(幕府天文方)とするものと、僧侶の三哲とするものがあり定かではないようです。

 

Photo_38

 

Photo_40

 


地上に姿を現した疏水


 御池通以南は暗渠の中を流れてきた疏水(鴨川運河)だが、ここ塩小路橋の東詰め傍で再び地上に姿を現す。そして、最終的には宇治川に流れ込むのだが、途中の墨染発電所でもう一仕事をする。

 

Photo_42

 

 以上、7回にわたった鴨川シリーズは今回をもって終わりとします。

« 鴨川とその周辺 その6 | トップページ | 辻子 ー天性寺辻子と新辻子ー »

町名・地名の由来」カテゴリの記事

カメラ散歩」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 鴨川とその周辺 その6 | トップページ | 辻子 ー天性寺辻子と新辻子ー »