中世末の京都とキリスト教 ー南蛮寺跡3−
タイトルは表記のように「南蛮寺跡」シリーズの続編ですが、内容的には辻子シリーズ「辻子 ーだいうすの辻子と富田之辻子ー」を兼ねたものとなっています。
だいうすの辻子
上京区油小路通元誓願寺下ルにあり、革堂西町と元百万遍町の境界、その西の竪富田町を通貫している小道です。
なお、「だいうす」とは「ゼウス」のことです。
徳川家康の支配下で再建された南蛮寺が近くにあったことが、平安城東西南北並之図に出ているとのこと。また、貞享3年(1686)京大絵図と、元禄9年(1696)京大絵図には「大う寸丁」と記されています。
「一条の北、油小路と堀河の間、近世に耶蘇宗門の寺があって、ここに在る町のことを、徒斯(デイス)を誤って太宗須(ダイスス)と云い、故に今では太宇須辻子(だいうすのずし)と称する」と貞享3年(1686)刊の『雍州府志』には記しているようです。
竪富田町の仁丹町名表示板
錆が酷くて読み辛いのですが、「上京區 東堀川通一條上ル東入 竪富田町」となっています。
富田之辻子
「だいうすの辻子」西方にあたり、「竪富田町」を通貫して東堀川通に至る部分を「富田之辻子」と称した。
「南蛮寺跡」シリーズは今回をもって一応の終わりとします。
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