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2013年8月 9日 (金)

鉾町に残る仁丹町名表示板 3

六角町(平成版の仁丹町名表示板)

N_2

 六角町は新町通を挟む両側町で、六角通と蛸薬師通の間。
 六角町尻小路(六角新町)には鎌倉から室町にかけて、六角生魚御供人(朝廷に隷属して天皇に食料を貢進する集団)の座が存在したとの記録があるそうだが、近世に入ってからも下京の商業の中心であり、御用商人が軒を並べ豪商三井家などの邸宅があったと云う。

Photo_3

 祇園会では応仁の乱以前から「北観音山」を出しており、後の祭りに巡行する。山に祀られる観音は楊柳観音で、脇仏は韋駄天。
 本来は後の祭りに「籤とらず」で先行した。江戸時代には百足屋町の「南観音山」と交替で巡行に参加し、別名を「上り観音山」と称した。
 応仁の乱以前の山鉾を記す「祇園会山ほこの次第」(祇園社記)には「ようゆう(楊柳)山」、明応9年(1500)復興時の「祇園会山鉾次第以籤定之」(祇園社記)には「くわんおんふたらく(観音補陀落)」と記されている由。
 なお、町有文書によれば、文和2年(1353)から延享4年(1747)まで、北嵯峨観空寺村(現・右京区嵯峨観空寺町)の嘉兵衛という樵の家がこの「山」の松材を納め続けたとの記録がある。したがって、文献で知られる最も古い「山」と云うことになるそうです。

百足屋町(平成版の仁丹町名表示板)

N_3

 百足屋町は新町通を挟む両側町で、蛸藥師通と錦小路通の間。
 町名の由来は「むかでや」という豪商があったことによると云う。この町には、公儀呉服商で朱印船貿易の特権を得た茶屋四郎次郎の邸宅もあった。

Photo_4

 祇園会に曳山「南観音山」を出すが、本来は後の祭りに巡行する。江戸時代には六角町の「北観音山」と交互に隔年で巡行した。別名を「下り観音山」と称したそうだ。
 応仁の乱以前の山鉾を記す「祇園会山ほこの次第」(祇園社記)には「ふたらく(補陀落)山」、明応9年(1500)復興時の「祇園会山鉾次第以籤定之」(祇園社記)には名前が見えないがやがて復興したようで、現在に到っている。
 山に祀られる観音は「北観音山」と同じく「楊柳観音」だが、脇侍として祀られるのは善財童子。

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