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2013年8月23日 (金)

鉾町に残る仁丹町名表示板 5

天神山町

Photo_5

 天神山町は錦小路通を挟む両側町で、新町通と室町通の間。
 (天神山町の東寄りに、錦小路通と四条通の間を「橦木辻子(観音堂辻子とも)」が通じているのですが、これは以前に辻子シリーズの一編として記事にしました)
 「祇園会山ほこの次第」(祇園社記)によれば、応仁の乱以前から「天神山」を出しており、前の祭で巡行した。明応9年(1500)復興時の「祇園会山鉾次第以籤定之」(祇園社記)にも「天神山」と記されている。町名はこの山鉾の名前に由来します。

Photo_4

 しかし、江戸中期の宝暦〜天明期にかけての頃から、この山を「霰天神山」と呼ぶようになったと云う。これは、ある大きな火災が起きた時に、時ならぬ霰が降って猛火は忽ちにして消えた。寄って見ると長さ一寸二分の天神が霰と共に降り屋根にとどまっていた。このため「霰天神」あるいは「火除け天神」と名付けたと云い、天明の大火・元治の大火でも類焼を免れた効験があると伝わります。山の名称はこの伝承によるのですが、このため町名は「あられや町」の別称もあったようです。

三条町(平成版の仁丹町名表示板)

N

 三条町は新町通を挟む両側町で、三条通と六角通の間。
 町名は三条通に面していることから来ると思われますが、この呼称は室町期から見られるそうです。この辺りは、南北朝期以来商業の中心地として発展したらしい。
 三条町には、豊臣秀吉が上洛した折には宿所とした豪商の伊藤道光邸があり、「伊藤町」との呼称もあったようです。

Photo_7

 応仁の乱以前から後の祭りに「八幡山」を出していることが、「祇園会山ほこの次第」(祇園社記)に記される。
 鉾の名は町内に祀る八幡社に由来するが、鳥居の笠木に彫られた二羽の白鳩は左甚五郎の作との伝承がある由。
 なお、八幡山はもう一つ石井筒町(油小路通四条下ル)にもあったが、明応9年(1500)から近世初期まで前の祭に出していたものの廃絶したと伝わる。

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