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2013年8月16日 (金)

鉾町に残る仁丹町名表示板 4

矢田町

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 矢田町は綾小路通を挟む両側町で、西洞院通から新町通の少し西までの間。
 応仁の乱以前の様子を描いた古地図には、当町南頬(つら)西角に金剛山矢田寺が描かれており、町名由来はこの寺に因むという。なお、この矢田寺は天正18年(1590)に、豊臣秀吉の命により天性寺前町(寺町通三条上ル)に移転しています。

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 「祇園会山ほこの次第」(祇園社記)によれば、応仁の乱前には前の祭に「地さうほく(地蔵鉾)」とあって、名前の由来は矢田寺地蔵尊に因んだもの。
 また、明応9年(1500)復興時には「琴ハリ山(琴破山)」とあるが、明治4年(1871)から「伯牙山」と改名して巡行している。伯牙山の名と飾り付けは「呂氏春秋」にある中国周代の琴の名手・伯牙が友人の鐘子期が死んだことを聞いて、合奏できなくなったことを悲しみ琴の弦を断ち切ったという話に因むそうです。

木賊山町(とくさやまちょう)

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 木賊山町は仏光寺通を挟む両側町で、油小路通の少し東から西洞院通の少し西まで。
 町名は祇園会に「木賊山」を出していることによる。

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 「木賊山」の名前が記録上はじめて見られるのは、延宝2年(1674)「祇園会山鉾考」においてだそうです。
 鉾の名は世阿弥作といわれる謡曲「木賊」によると云う。木賊は源仲正の和歌「木賊刈る園原山の木の間よりみがきいでぬる秋の夜の月」(未木抄)をもとにしており、信濃国の園原山で木賊刈りを生業としていた伏屋の里の老翁が、誘拐された我が子と対面するという物語。鉾の飾り付けはこの老翁の人形で、人形の頭は仏師春日の作と伝え、足台に「元禄五年六月」の墨銘があると云う。

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