辻子 ー三条通沿いの辻子を巡るー 1
先週、記事『「京七口」と街道 ー粟田口と東海道ー』を載せましました。
そこで取りあげた旧東海道(三条通)沿いには、三条大橋から東方の広道(現・岡崎通)にかけて、かなり多くの辻子が存在しているのです。
そこで今回から暫くは、三条通沿いに存在する(存在した)これら辻子とその周辺を巡り歩いて、記事にしてみることにしました。
今回は、「超勝寺辻子」と「馬屋辻子」です。
超勝寺辻子
「超勝寺辻子」は孫橋通新麩屋町から南へ、超勝寺門前町と法林寺門前町の境界、大橋町と二町目の境界を通貫して三条通に出る小道です。辻子名は言うまでもなく辻子にある超勝寺に由来します。
「大橋町」は三条大橋の橋詰に位置することが町名の由来。もとは「大橋詰町」「大橋東一町目」(もしくは「一町目」)といったようですが、江戸時代後期に大橋町の名が定着したらしい。
大橋町は洛外でありながら洛中に近いため、また東海道の起点にあたる人通りの多い土地であることから、晒刑の場となることもあったようです。
「二町目」は三条通に面して一町目(大橋町)から東へと続く二つ目の町であることが町名の由来。
法林寺(檀王)標石
法林寺は何度かの移転と寺名変更があったのですが、永禄年間にほぼ全焼したあと、慶長年間に僧袋中が再建して梅檀王院(ばいだんおういん)と称した。通称の「檀王(だんのう)」はその略称です。
馬屋辻子
「馬屋辻子」は孫橋通から三条通に出る小道で、和国町と三町目の境界、さらに三町目を通貫しています。
宝暦12年刊『京町鏡』には「此辻子東側に正栄寺と云浄土宗の寺あり。西側に馬屋あり」との記述があり、これが辻子名の由来となったと云う。しかし、その馬屋の実態についてはよく判らないと云う。
和国町の仁丹町名表示板
これは上の写真で辻子入口左の民家、二階角の軒下に見えるものとは別ものです。
「和国町」は宝永5年(1708)の大火以後、堺町通丸太町上ル駒本町(現在は京都御苑となっているが当時は町地であった)の住民を移して開町した。二条川東一帯の町々は何れも同じ事情で移転してできた町なのです。
「三町目」の町名由来は、三条大橋橋詰の一町目(大橋町)から東へ、三条通に面して続く三つ目の町であることによる。
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