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2013年10月18日 (金)

辻子 ー三条通沿いの辻子を巡るー 4

 今回は、「天部辻子(あまべのずし)」と「城安寺辻子」です。

天部辻子

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 「天部辻子」は三町目の東部(現在の三条通花見小路東入一筋目)を三条通から南行、教業町を通貫して若松通に至る小道。
 辻子の名前は、三条通から旧・天部村に通じていたことによる。天部村は明治4年(1871)村制をを廃して、現在の教業町・長光町・巽町が成立した。
 天部村ははじめ、寺町通四条下ルの貞安前之町・順風町の辺りに所在していたが、豊臣秀吉の御土居構築と寺町寺院街形成のため、この地が大雲院に与えられことでその替え地として、三条橋東に移転した。
 この天部村は少し特異な村であったようで、村自体の石高は僅少であるために村民は各地に出作して農業に従事していた。また、村は江戸時代を通じ役人村として京都町奉行のもとに四座雑色(しざのぞうしき)に従い、治安維持・公武の諸儀式警固・追捕役と囚人の監督等の御公役に勤仕し、江戸初期には二条城の雑役夫役と太鼓張立などをおこなった。また、禁裏(御所)の庭掃除にあたる小法師役がいて、幕末まで続き明治維新には士分格の扱いを受けたと云う。

大将軍神社
 延暦年間(782〜806)平安遷都の折りに皇城の四方に大将軍を祀ったうちの一つとされる。

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城安寺辻子

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 「城安寺辻子」は七軒町を三条通から南行して、長光町と南西海子町・北木之元町・進之町の境界(三条通東大路西入一筋目から南行する小道)を通貫して若松通に達している。辻子名は道の東側に城安寺が所在することによる。

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 城安寺は黒谷浄土宗の寺。僧暦央の開基で伏見城内に建立され、伏見町に移った後、寛永6年(1629)現在地に移転したと云う。本尊の阿弥陀如来は惠信僧都の作と伝わる。

南西海子町の仁丹町名表示板

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 東大路三条に「西海子町」があるが、西海子は皀莢(さいかち)の当て字と云う。古くこの地の南の長田塚に皀莢の木があったのに因み、初め田の字名とし、次いで町名としたという。「南西海子町」の町名由来は、この「西海子町」の南にあたる町であることからくると云う。
 「北木之元町」の木之本町も皀莢の大木があったからと云い、「西海子町」と重複する由来をもっている。
 「進之町」は「進之」という旧耕地の字名を町名にあてたとする。

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