辻子 ー三条通沿いの辻子を巡るー 2
今回は、「金臺寺辻子(こんだいじのずし)」と「綿屋辻子」です。
金臺寺辻子
「金臺寺辻子」は法皇寺町と七軒町、和国町と三町目の間(境界)を南北に通貫している小道で、孫橋通と三条通の間。
「法皇寺町」の名は法皇寺の寺地であったことを由来とする。その法皇寺は明治11年に南禪寺境内に移されて、塔頭の一つである牧護庵となっています。
辻子の東側には金臺寺があり、これが辻子名称の由来となっている。
金臺寺
「七軒町」は開町時には僅か七軒の民家しかなかったことから名付けられたと云うが、後に街道(東海道)左右のにある松並木から「松原町」としたこともあったようです。
七軒町の仁丹町名表示板
綿屋辻子
「綿屋辻子」は七軒町の東方(東大路通三条西入一筋目)を三条通から北行して要法寺に至る小道で、三条通から孫橋通りへ通じている。
要法寺
戦国時代の京都の町衆に大きな影響力を持っていた日蓮宗徒と叡山僧の間に起った「天文法華の乱」により、京都市街が焼失したとき法華21ケ寺がともに堺に難を避けていました。天文11年(1542)に洛内へ戻る勅許を得て、上行院と住本寺が合併して新たに要法寺として醒ヶ井通綾小路下ルの地に再建されますが、その後、宝永5年(1708)の大火で焼失したあと現在地に移転した。
話は辻子から逸れて脇道に入ります。
元プロ野球監督の野村克也氏は峰山高校を卒業して南海ホークスにテスト生として入団しますが、その切っ掛けはこの要法寺先代住職(貫主)の口利きがあったからと云うことのようです。(但し、真偽の程は未確認)
要法寺境内の池
ところで、毎年この池ではつがいのカルガモが子育てをして、梅雨の時期になると鴨川に引っ越しをします。その時は警察が交通規制をして多くの人々が見守る中、母ガモが小ガモ10羽ほどを引き連れて引っ越す微笑ましい様子が、テレビや新聞で報道されています。
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