辻子 ー三条通沿いの辻子を巡るー 5
今回は、「分木辻子」と「紙屋辻子」です。
分木辻子(ぶんきずし)
「分木辻子」は分木町を三条通から北行、南門前町と東姉小路町の境界を岡崎円勝寺町に至る小道。
「分木」というのは田畑の字名であったという。なお、三条通以南は古川町通となっている。
この町の南側に三条小鍛冶(宗近もしくは吉光)宅跡と伝わる所がようです。
「南門前町」の町名は法皇寺の南門前にあたることによる。
「東姉小路町」の由来は、三条通の一筋北、洛中の姉小路通の東の末にあたり、青蓮院門主良助法親王が在住した姉小路坊の旧跡であることによるという。
南門前町と東姉小路町の仁丹町名表示板
下部の折損している部分は、「線」以下が「東入 南門前町」だったと思われます。
東山線は現・東大路通です。(昭和53年9月に廃止されるまで市電東山線が通っていた)
「東姉小路町」の三条通北裏は《三条通北側の裏道》と云ったような意味であり、無名通りであることからこのような表記にしたのでしょう。このような表記は他にも大宮通西裏などがあります。
紙屋辻子
「紙屋辻子」は大井手町を三条通から北行して、石泉院町で三条通北裏(三条通の北側裏通りを意味する通り名)に通じる小道。
「大井手町」の名前は、かつての白川はその本流が町の北側を西流して鴨川に流入しており、ここに大きな井手(土堤)があったことによるという。この町の東、つまり白川以東が粟田口となっていた。
「石泉院町」は、この地に比叡山東塔石泉院の別院が所在したことで田畑の字名となり、これが開町の時に町名になったと云う。
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