辻子 ー三条通沿いの辻子を巡るー 8
この「三条通沿いの辻子」シリーズは今回が最終回となります。
天王辻子
「天王辻子」は中之町を通貫していて、三条通から南行する粟田神社への参道を云う。
粟田神社祭神の牛頭天王(八坂神社の祭神も牛頭天王)に因んで、この参道を「天王の辻子」と呼称していた。
鳥居に「感神院新宮」の額
(画像をクリックすると拡大します)
感神院は八坂神社のことで、明治維新の神仏分離以前は祇園感神院あるいは祇園社と称した。
この粟田神社の名前もまた明治初年の神仏分離以後の呼称であり、幕末までは感神院新宮あるいは粟田天王社と称していた。
神社石段下には旧東海道が通っており、京七口の一つ「粟田口」がこの辺りに設けられたこともあったようで、京都から旅立つ時に安全祈願をする人々が多かった。
粟田神社の祭礼
神輿巡行
剣鉾巡行
剣鉾は50Kg前後の重量になるそうで、6〜7mもある長い棹の上に1m程の鉾先を付け、その根元には金細工の透かし飾りと鈴が付けられている。
鉾差しは独特の歩行をすることにより、棹の金具に鈴を打ち当てて鳴らす。これは神輿の先払いで巡行路を祓い清めるそうです。
粟田神社の祭礼は旧9月15日(現10月15日)を中心におこなわれ、粟田祭の名で広く知られる。体育の日に行われる神幸祭・還幸祭では神輿のほか、各町から18本(元は17本)の鉾を出していたが、最近新しく一本が増えて19本となっています。現在では諸事情により祭礼で剣鉾差しが行われるのは5〜6本のようです。
そのうち、東分木町守護の阿古铊鉾(あこだほこ)は神宝として重んじられ、旗に感神院新宮の五字を記す。なお、先に記したように感神院は祇園社(現八坂神社)のことですが、室町期には祇園祭が行えないときは粟田祭で祇園御霊会の替わりとしたと伝わるようです。
相槌稲荷
相槌稲荷は刀匠の粟田口宗近の勧請という。
宗近は朝廷から名剣を打つよう命ぜられた。しかし、優れた相槌が居なければ鍛えることができないため稲荷明神に祈願したところ、神の使いの狐が相槌を勤めて名刀「小狐丸」を製作し、朝廷に献上することができたと云う伝承がある。天下の五剣の一つと云われる「三日月宗近」が現存し国宝に指定されているようです。また、祇園祭の山鉾巡行で先頭を行く長刀鉾の鉾頭を飾る大長刀は宗近の作で、祇園社に奉納したものですが現在では複製品を使っている。
《完》
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