「路地」、そして「辻子」「突抜」 2の1
1. 路地の発生
京都市の中心部にはいまだに平安京の条坊制による街区や、豊臣秀吉が天正18年(1590)から翌年にかけておこなった大規模な京都改造による短冊形町割りが残っています。したがって、京都の町並みの区画は現在でも基本的には方形になっています。
ところが、この方形の街区の場合、道路に面した家並の背後となる中央部分は空閑地となってしまい、利用が困難なものになっていました。
そこで、この空閑地の有効利用やそこへの通行の便から、表通りにある家と家の間から中の空き地に入ってゆく細い通路が設けられ、これを路地(ろーじ)と称したのです。
路地の奥は普通は行き止まり、つまり路地は殆どが袋小路になっています。内部は両側に数軒ずつの家が向き合っているもの、片側だけに家が並ぶもの、路地の突き当たりに数軒が横並び(T字型)に建っているもの、なかには一軒路地となっている場合もあります。
しかし、路地には「コ」の字型や「L」字型になっていて、入り口とは違うところに通じているものや、路地の入口に面した通りとは反対側の通りへ出る通り抜け路地もあります。
いずれにしても、路地というのはその中にある家に行くための通り道あるいは通路と云ったもので、一般の通り・道路とは異なっており私道的な面もあることから、無用の者が立ち入るのはちょっと躊躇させられる雰囲気があります。なかには、はっきりと「無用の者の立ち入りはお断り」という注意書きが路地入口に張られている場合もあります。
「懐古庵路地」「安食(あじき)路地」「紋屋町路地」といった、ユニークであり、路地(ろーじ)としてはメジャーとも云えるものについては、かつて当ブログで記事にしたことがあります。
しかし、京都市内にはその他にも、表通りとは違ってひっそりと落ち着いた雰囲気の、あるいは侘しげな佇まいのものなど、無数の路地があります。
路地探索をした折りに、なんとなく気を惹かれたものについて記事にしてみたいと思っています。
《懐古庵路地》
《安食路地》
《紋屋町路地》
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