鴨東地域の移り変わり 7の2
2. 近世までの鴨東北部 ー特に岡崎地域ー1
鴨東地域にあって、北部では浄土寺・吉田そして神楽岡(吉田山)、南部では鳥辺野(鳥辺山)など、古くは遊猟地や葬送地であったところが多いようです。
そういった中で、鴨東北部の一部では鴨東南部より早く、平安時代初期から開けた地域だったようです。
三条通から北、現在の北白川辺りまではかつて上粟田郷北白川と称され、中でものちに岡崎村(現・左京区岡崎)となる一帯は閑寂な景勝の地であったようです。
「岡崎」は岡(神楽岡=吉田山)の突き出た崎(みさき)を意味し、吉田山の南部一帯の地名となっています。
平安時代初期の9世紀中頃、天安元年(857)に人臣としては初の太政大臣となった藤原良房が、この地に白河別業(別荘)を建立して白河大臣と称された。以後、摂関政治を担った貴族・藤原氏一族の別荘や寺院が建立された地域でした。けれども、やがては「天狗の棲処」と云われる程に寂れた農村となったそうな。
次に、平安時代後期になると摂関政治が衰退して、貴族社会から武家社会に変わる過渡期である院政時代に入ります。院政を始めた白河天皇は歴代藤原貴族の別荘の地を献上され、壮大な寺院法勝寺を建立して以後、天皇や皇后のために祈祷をおこなう五つの御願寺(尊勝寺・最勝寺・円勝寺・成勝寺・延勝寺)が建立されて六勝寺と総称される。「岡崎法勝寺町」など寺名にゆかりの町名が今も伝わっています。
六勝寺の小道
白河院跡・法勝寺跡
ここはもと藤原良房の別荘白河院であった地。藤原師実から寄進を受けた白河天皇がこの地に六勝寺の筆頭寺院となる法勝寺を建立した。
大正になって呉服商の下村忠兵衛が当地を取得、庭園は七代目小川治兵衛(植治)の作庭で、京都市指定名勝。現在は公共宿泊施設となっている。
(次回に続く)
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