鴨東地域の移り変わり 7の6
4. 近代以降の岡崎地域 2
② 近代化に向けた都市基盤の確立 ー後編ー
疏水の流路は大津三保ケ崎から第一トンネルを山科へ、さらに第二・第三トンネルを抜けて蹴上船溜りに至ります。
そして、水は再びトンネルを経て南禅寺船溜りに出たあと,鴨川に至るがこの間を鴨東運河とも称した。
琵琶湖疎水記念館(南禅寺船溜り跡の畔に建つ)
なお、舟運については、水とは別に蹴上げ船溜りと南禅寺船溜りの間の傾斜をインクラインに載せられて運ばれた。
疏水は鴨川手前(東側)に鴨川運河が開削されて宇治川伏見港まで至るが、その途中には、昭和2年墨染発電所が建設されている。
インクライン跡
台車に乗せられた船はトンネルの先の南禅寺船溜まり(水面と噴水が見える)に着く。
インクラインの台車
ちなみに、疏水分線は蹴上から南禅寺境内を水路閣経由で北上し、東山山麓を経て堀川に合流する。これは洛北の灌漑と水車による動力利用を目的としたが、上水道として利用するため昭和2年には松ヶ崎浄水場を完成している。
水路閣
さらに、ほぼ20年のちの明治41年(1908)から、「京都市三大事業」と命名された第二琵琶路疏水の建設、それを利用した上水道の整備、および道路拡築・電気軌道敷設に着手して、4年後の大正元年(1912)に竣工の祝賀式典がおこなわれます。
そして、大正3年(1914)には夷川発電所が、疏水下流(鴨川運河)には墨染発電所が建設され、京都の都市基盤の基礎が出来上がっていったのです。
夷川発電所
(次回に続く)
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