2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

リンク集

無料ブログはココログ

« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »

2014年3月

2014年3月28日 (金)

路地(ろーじ)ーそのいろいろー 3

 そこに住む人々の暮らしぶりや暮らし向きが何となく窺われるような雰囲気の路地。
 そしてまた、殆ど人の気配が感じられない不思議な感じのする路地。
 などなど、路地には表通りに面した民家とは全く異なる雰囲気の家々があります。
 「市中見回り」の際に見かけたいろいろな路地、これから時折、それらの写真を無作為に選んで載せてみたいと思っています。

いずれも下京区にあった路地です

Photo

Photo_2

Photo_3

Photo_4

Photo_5

 

2014年3月21日 (金)

路地(ろーじ)ーそのいろいろー 2

商いをする家のある路地

Photo_5

Photo_6

Photo

Photo_8

_01

2014年3月14日 (金)

暖簾いろいろ その1

亀末廣
(京都市中京区姉小路通車屋町東入 車屋町)

Photo

 文化元年(1804)の創業という老舗の和菓子屋。
 暖簾も良いのですが、看板も縁取りの部分がが珍しいものだそうです。
 江戸時代には徳川家の京都宿所であった二条城に、また、東京遷都までは御所にも菓子を納める老舗となっていた。御所や二条城からの菓子の注文あれば、そのたびに木型師が新たに専用の菓子木型を作っていた。そうして一回だけ使って用済みとなった木型がたくさん残っていたことから、この木型を看板「御菓子司亀末廣」の額縁の部分に用いている。(写真をクリックすると拡大して見易くなります)
 「車屋町」の町名由来は、中世から近世にかけて、牛馬の引く荷車を用いて物資を輸送する運送業者(車借)の家が多かったことによるらしい。

千切屋
(京都市中京区高倉通三条下ル 丸屋町)

Photo_2

 老舗の呉服屋。
 享保10年(1725)に「榺屋(ちきりや)」の屋号で創業したと云うことだが、江戸幕府8代将軍である徳川吉宗の時代のことになる。
 ところで、千切屋社屋(丸屋町)の南側に接した町、町名が榺屋町(ちきりやちょう)といいます。!?
 よくは判りませんが、「千切屋」はもとは「榺屋町」に所在したということなのか?

 ちなみに絵図や地誌によれば、「榺屋町」は寛永14年(1637)刊の洛中絵図には「ちきりや町」とあって、以後変化は無く、「榺屋」の字が当てられたのは天保2年(1831)の改正京町絵図細見大成になってからと云うことのようです。

室町和久傳
(京都市中京区堺町通御池下ル 丸木材木町)

Photo_3

 紫野和久傳の室町店。
 ここは料亭ながら茶菓席も設けており、お茶と甘味を味わえる。料亭の茶菓席だけあって旬の食材を使って作られた季節の菓子と宇治茶が供される。
 この区域が開かれて以来、木材を集めて販売する家のあったことを町名の由来とするそうです。

晦庵河道屋
(麸屋町通三条上ル)

Photo_4

 江戸時代から続く生そばの老舗だと謳っています。
 先々代の考案と云う芳香炉はよく知られるそうです。

 

2014年3月 7日 (金)

看板 ー種々雑駁に その9ー

町歩きの折々、なんとなく撮り溜めた看板類の写真です。

ヘタ》の吊るし売り

Photo_3

この壁面だけ時間が止まってる感じ
   これはモノクロ画像にするともっと雰囲気が出るでしょうね。

1

ガラス戸のステッカー(看板ではありませんが)
   さるサイクリングクラブ・レーシングチムの事務所になっているようです。

Photo

瓦 屋
   普通の看板よりズット良い、判り易い。
   同じような瓦屋さんが椹木町通猪熊の北西角にもあったように覚えています。

Photo_4

ダマシン(象嵌)三題
   象嵌は、模様を象り嵌め込んだもので、美術品・工芸品に使われる技術。
   シリアのダマスカスが発祥地といわれ、英語 Damascene の語源と言われる。
   私は鉄地に金を模様に打ち込んだカフスボタンを持っています。

キョートダマシン(象嵌屋さん)

Photo_5

オリエンタルダマシン(この象嵌屋さんはもう存在しない?)

Photo_7

もう一つ、これは現存の象嵌屋さん

Photo_2

« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »