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2014年4月11日 (金)

辻子 ー市姫辻子ー

市姫辻子

 本塩竈町から若宮町にかけて通貫している。
 河原町通六条の一筋北を西進、市比賣神社の前を通り、金光寺と蓮光寺の間を左折(南下)、六条通を通り過ぎて福田寺と萬年寺の間を上ノ口通へと至る小路です。

Photo_11

 上の写真、左手の建物二階に仁丹町名表示板が見えますが、次の写真がそれです。
本塩竈町の仁丹町名表示板

Photo_15

市比賣神社

 辻子の名前は、市比賣神社に因むことは云うまでもありません。

Photo_12

 なお、以前に「町名の由来と仁丹町名表示板  その1」(’11.9.7)で触れていた福田寺町(下京区高倉通松原下ル)の町名由来となった福田寺は移転して、市姫辻子の途中にあるこのお寺です。

福田寺そして福田寺町の仁丹町名表示板

Photo_13

Photo_14

 辻子が通っている本塩竈町は、この辺り一帯の土地が平安時代の左大臣源融(嵯峨天皇の皇子)の邸宅である河原院址にあたり、河原院の塩竈の故事に因んで、明治4年(1871)に本塩竈町と命名された。
 この河原院は広大なものであったらしく、諸説があるものの北は五条通から南は六条通まで、西は富小路(現・麸屋町通)から東が鴨川を越えて現在の本町通に及んだとされる。

 本覚寺の源融を祀る鹽竃神社、上徳寺の山号が鹽竃山、白毫寺の別名が鹽竃太子堂であることからも、一帯が河原院跡であるとの伝承を窺うことができる。
 なお、秀吉の京都改造で市中に散在する多くの寺院を東京極大路(現・寺町)に集めたのですが、河原院跡も寺町となって俗に「下寺町」という呼称が起ったようです。

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