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2014年4月 4日 (金)

辻子 ー竹林院辻子ー

 このところの記事が「路地」や「看板や暖簾」ばかりで、「辻子」を記事にすることが全く無かったことに気づきました。改めて調べてみると昨年の秋からこちら途絶えています。
 そんなことでいろんな記事の合間に、久しぶりで辻子についても記事にすることにします。
 さしあたり、私が入っている趣味のサークル例会が開かれる「ひと・まち交流館」(河原町通上ノ口上ル)の近辺、東本願寺別邸の渉成園=枳殻邸の北側一帯にまとまって存在する辻子を取り上げてみたいと思います。

竹林院辻子

Photo_7

 この辻子は御影堂町平居町を通貫している。五条大橋西詰め南側から河原町通の竹林院前に至る道です。
 辻子名はいうまでもなく竹林院に因み、元和(1615〜24)の頃に五条通から開いてできた道だそうです。

竹林院

Photo_8

 竹林院は浄土宗捨世派の寺院で、もと五条町尻小路(現在の松原通新町の薮下町辺りです)にあったが、豊臣秀吉の京都改造で現在地に移転させられました。天明・元治の大火による類焼、さらに明治以降の数度にわたる寺地収公で寺域が狭くなり昔の面影はなくなったという。

 御影堂町は明治2年、一般には御影堂と呼ばれた時宗の新善光寺境内地が上地されて、新たな町地となったのが町名の由来。この新善光寺は第二次世界大戦の末期に、五条通の拡張(強制疎開)により滋賀県長浜市に移転している。なお、富小路通五条下ルにある新善光寺は来迎堂と号し、浄土宗の寺で全く別。

 平居町は、宝暦年間に幕府の許可を得て、御土居跡に開かれた町です。
 五条橋西畔から高瀬川沿いに正面通へ至る流域一帯は、宝暦年間に許されて町地化されたあと、「五条新地(五条橋下)」と呼ばれる大規模な遊郭となった。
 昭和33年(1958)売春防止法が施行されて廃止された(ことになっていた)。しかし、「五条楽園」として営業していたのですが、平成22年(2010)に二度にわたり売防法違反で摘発され、営業を休止してのち、お茶屋組合も解散したようです。
 この五条新地についてはかつて、「京の郭(廓)その8 ー市内各所の新地4−」(’11.12.5)で少し取り上げました。しかし、その時に揚げていた写真の建物は無くなってしまい、次の写真にある「五条楽園歌舞練場」の看板もまた撤去されて無くなっています。

Photo

平居町の仁丹町名表示板

 右傍の街灯カバーに京都市の略章が入っているのが珍しい

Photo_18

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