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2014年5月 9日 (金)

辻子 ー浄徳寺辻子ー

 この辻子、現在は存在していません。
 したがって定かではないのですが、現在の五条通(南側)の高倉通と富小路通の中程にあるファミレス「さと」の辺りから南行して、富小路通に東面する上徳寺(世継地蔵)や白毫寺の背後=西側を通り、西寄りに斜行する富小路通が六条通と交差する地点の少し北(現・東本願寺高倉会館・高倉幼稚園の東側辺り)へ通貫していたのだろうと考えています。

 昔は、東側の本塩竈町と、西側の堺町・富屋町の境界を為すような形で溝渠(ほり)が存在していたそうで、その畔にこの辻子があったようなのです。

辻子の北端であったと考えられるところ
 「さと」右側の細い通路、この辺りが本塩竈町と堺町の境界になります。辻子はここを南に通じていたと思われます。

Photo_24

辻子南端
  現在の高倉幼稚園の東側辺りかと思われます。

Photo_22

辻子南端方向を望む
  路地の突き当たりに見える建物は高倉幼稚園です。
  幼稚園の東側を五条通まで通じていた?

Photo_23

 ところで先の「上徳寺」ですが、創建年月は不詳ながら、寺伝によれば徳川家康の帰依により僧伝誉一阿の創建。家康の娘泰誉院が、生母上徳院(名は於古知で家康妾)の菩提を弔うため敷地を拡張、堂宇を整備して、はじめ霊光院と称した寺名を上徳寺に改めたと伝えるようです。
 「浄徳寺辻子」の名称はこの上徳寺に因むのだろうと考えますが、さて如何なものでしょうか。
つまり、上徳寺→浄徳寺に転じた(転字)と考えました。(これは牽強付会でしょうか!?
 境内の世継地蔵は2mほどの石仏で、良い世継ぎを得られるとの縁起を伝え、多くの人々が参詣するそうです。

上徳寺(世継地蔵)

Photo_25

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