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2014年7月11日 (金)

「京七口」と街道 ー山中越(やまなかごえ)ー 3

前々回の「志賀山越」、前回の「今路越(今道越)」に続く最終回は、謂わば新道とも云える「白川越」です。

3.「白川越」白川馳道(しらかわのはせみち)・安土海道とも

そしていま一つのルートは、現・山中町集落の東はずれから北方へと進むルート、つまり、かつての「志賀山越」「今路越(今道越)」ルートではなくて、まっすぐに近江側へと下る新道です。
この道は安土・桃山時代になってから、織田信長が永禄13年(1570)頃に新設させたものです。
山中村から現・南志賀町の宇佐山(湖岸から1Km程のところ)に築いた宇佐山城を経て、琵琶湖へと通じる道でした。これは、現・県道30号線にほぼ重なるルートで、比叡平・田ノ谷峠を経て現在の大津市錦織町に出たようです。
宇佐山城が廃城となった後も、京と信長の居城である安土城との行き来には、この新道を経て湖上を船で渡ったようです。このことから「安土海道」とも呼ばれたとか。

そして、少し後の天正3年(1575)に、信長はこの新道を経て上洛するために、京都側の道普請をさせています。
この道筋は白川口から吉田村・田中村を経て、高野川と賀茂川の合流点の今出川假橋を西に渡り、出町の「今出川口」に至るものでした。
この新道について、宝暦4年(1754)刊『山城名跡巡行志 第三』では、「今出川口」の項で、「京極(現・寺町通)ノ東 今出河通ノ北一丁ニ在 其ノ所ヲ出町ト云フ 此口正東ノ大道ハ白河村ヲ歴テ江州山中村二至ル」と記しています。

また、元禄2年(1689)刊の『京羽二重織留』巻之一では、この新道を「白川馳道(しらかわのはせみち)」とし、「今  京極今出川口より白河村に至まで  所々道を挟みて並木の松のこれり  これいにしへの道なり」と記しており、当時は所々にまだ松並木が残っていたようです。

賀茂川と高野川の合流点
 かつて「今出河口假橋」が架けられたところ。
 左手の橋が鴨川に架かる現「出町橋」、右手は高野川に架かる現「河合橋」です。
 その出町橋の左手(西側)の出町桝形辺りに「今出川口(大原口とも)」が設けられていたようです。

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現在の出町
 かつて「今出川口(大原口)」があった出町(桝形)から東方を望む。
 前方に見える橋は賀茂川に架かる出町橋、見えないがその向こう側には高野川に河合橋が架かっている。

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ちなみに、前掲書の「今出河口假橋」の項には、「賀茂河高野河ヲ跨 田中村従リ之ニ掛ル板橋也」とあるので、現在の出町橋と河合橋とほぼ同じ位置に板の仮橋が架けられていたのでしょう。
その架橋費用については「橋料ハ 高野八瀬大原等 此橋往来ノ村々之ヲ出ス」となっています。そして、「今出川口」の別称「大原口」は、このように大原方面への出入り口でもあったことによるのです。

突然、「東今出川通」について
織田信長が整備させた新道「白川馳道」の、「今出川口假橋」東詰め(現・叡山電鉄「出町柳駅」前辺り)から百万遍へ出て、白川口の子安観音に至る間、これが「東今出川通」の原型となったのでしょう。(「京羽二重織留」にいう松並木はこの間にあった)
そして、近世までの今出川通東端は京極大路(現寺町通)東の鴨河原まででした。近代になって昭和6年に賀茂大橋が架橋されて後、その東側に市電が敷設されて新たな東今出川通となったのです。
なので、かつての東今出川通(「白川馳道」)のうち、河合橋東岸から叡山電鉄出町柳駅を経て百万遍交差点に至る間については、謂わば旧・東今出川通となってしまいました。

旧・東今出川通
 叡山電鉄「出町柳」駅前から東方を望む

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 旧今出川東端の百万遍交差点手前(遥か先の山には大文字の「大」が見える)

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《田中関田町の仁丹町名表示板》
 「東今出川通」表記にご注目!
 旧・東今出川通に面して設置されていました。ところが、今回の記事を書くために改めて歩いてみたところ、この表示板は姿を消していました。

Photo

以上でこのシリーズは終わりです。



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