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2014年8月22日 (金)

通り名のいわれ ー麸屋町通ー

「麸屋町通」、元々は「富小路」なのです

 「麸屋町通」は、平安京造都で開かれた「富小路」に該当すると云うことです。
 紛らわしいのですが、現在の「富小路通」は天正18年(1590)に豊臣秀吉の京都改造により開かれたもので、全く別の通りなのです。

「麸屋町通」と「新麸屋町通」

 「麸屋町通」は初め、北は下立売通まで通っていたのですが、宝永5年(1708)の大火により、丸太町通以北については閉鎖されて皇宮の土地(御所)になります。そのため、その旧地あった民家は二条川東(二条通鴨川東部)の地に移転させられます。
 そして、旧地を偲ぶ気持ちからでしょうか、そこは「新麩屋町通」と呼称されることになりました。

尾張町の仁丹町名表示板 

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「麸屋町通」のいわれ

 『京町鑑』には「此通  むかしは麩商売の者多くありし故  町筋の號とす  今も三條邊に麩屋あり」と記し、『京羽二重』と『京雀』では「昔日  此筋に腐麺を賣者多かりしゆへに  今にふや町通と云う・・・」としている。
 また、『京雀』の「二條さがる  おはり町」の個所では「そのかみ  この町に素麵腐饂飩の粉を賣ける家おほかりければ  世に腐屋町通と云つたへし」と記しています。
つまり、「麩屋町通」のいわれは、当時は麩・豆腐・麺を商う店が多かったからだと云うのです。

 また、麸屋町通には白山通の別称があったのですが、これはこの通りに白山祠(白山神社)があったためだそうです。
 宝暦4年(1754)刊の『山城名跡巡行志』によれば、その当時の白山祠は二カ所あって、一つは白山通三條北の「下白山町」、一つは同通三条坊門(現・御池通)北の「上白山町」に在り、勧請は不詳。同通姉小路北の「中白山町」の白山祠は今は亡いと記しており、元は三カ所に在ったようです。
 しかし、現在では写真に見る「上白山町」の白山神社のみが残っています。

白山神社
 白山は石川・岐阜県境にあり、古くから白山信仰(山岳信仰)で名高い。
 この白山神社もこれとの関わりが深いということです。

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