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2014年8月29日 (金)

通り名のいわれ ー両替町通ー

「両替町通」は二カ所あります

一つは、伏見区の両替町通
 南北の通りで、南端の一丁目から北端の十五丁目まであります。北端の十五丁目は京都と伏見を結ぶ伏見街道につながっています。(伏見街道の北端は五条の本町一丁目です)

「両替町三丁目」
 メンソレータムの広告ですが、この町名表示板は伏見以外では見かけません。
 「世界之家庭薬」凄い意気込みですね。

Photo

もう一つは、中京区の両替町通
 北は丸太町通から南は三条通までの間で南北の道です。

「金吹町」(仁丹町名表示板)
 この町名、明治3年(1870)の命名です。その昔に金銀を冶工する銀吹き所・金吹き所があった、つまり銀座・金座があった名残でしょう。

Photo_2

 この二つの「両替町通」、いずれも銀座あるいは金座が置かれるとともに、多くの両替商が軒を並べていたことが名前の由来です。

 「銀座」は銀貨を鋳造・発行する役所です。初めは伏見と駿府(現・静岡市)に置かれたが、後には京都と江戸に移されました。やがて、大坂・長崎にも置かれたのですが、後には江戸の銀座に統一されました。

 伏見銀座跡

Photo_3

 「伏見銀座」は慶長6年(1601)に両替町通の両替町五丁目〜同八丁目の地に設けられました。そのため、この間は銀座一丁目〜銀座四丁目となったため、両替町は四丁目から九丁目へと飛んでいるのです。

 両替商旧跡(伏見・両替町三丁目)

_01

 「伏見銀座」は慶長13年(1608)、京都の両替町通二條と三條間の四町に移転して「京都銀座」となりました。すでに、伏見銀座設置の1年前、慶長5年(1600)この地に設置されていた金貨鋳造の「金座」と合併したのです。
 なお、ここには朱座も設けられていました。朱座というのは、幕府から朱・朱墨の製造と販売の独占権を得ていた座の一つだということです。
 『京雀』には、「二條通さがる  兩替町 同兩替町 同下町 同兩替町  右四町のあひだ兩替町に金座銀座の家々軒をならべたり  銀座の司大こくや常是(大黒屋常是)朱座の司この町にあり」と記しています。

 金座遺址

Photo_4

 銀座遺址

Photo_5

 この「京都銀座」のあった両替町通は、天正18年(1590)豊臣秀吉の京都改造で開かれたのですが、「両替町通」と云う名称が生じたのは慶長13年、伏見から銀座が移転してきて以降のことになります。

 ところで、「銀座」と云えば、東京でも有数の繁華街として有名です。全国各地にはこれを模して「○○銀座」と名付けた繁華街・商店街が沢山あります。
 しかし、銀貨の鋳造・発行所という本来の意味での「銀座」ということになれば、東京の銀座は後発組であって、伏見の銀座の方が本家筋にあたるのです。
 では、伏見に日本初の銀座が設けられたのは何故なのか。
 それは、徳川家康が関ヶ原の合戦に勝利して間が無い頃で、慶長8年(1603)江戸に幕府が開かれる以前の時期にあたります。当時の伏見は日本最大の城下町であり、中央政治を担っていた都市であったからなのでしょう。また、大坂はといえば、関ヶ原の合戦直後ということで、まだ旧豊臣方の本拠地であったため、そんなところへ設置することを家康は避けたのでしょう。
 ただし、「金座」が設けられて金貨の鋳造を始めたのは、京都よりも江戸の方が1年早い文禄4年(1595)のことでした。

 

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