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2014年9月12日 (金)

通り名のいわれ ー高倉通ー

「高倉通」と「新高倉通」

 「高倉通」は平安京が開かれた当時の「高倉小路」に相当すると云うことです。
 この通りも初めは麸屋町通と同じく、北は下立売通まで通っていたのですが、宝永5年(1708)の大火により、丸太町通以北が閉鎖されて皇宮(御所)の土地に入ります。
そ して、そこあった民家は二條川東(二条通鴨川東部)に移転させられ、旧地の通り名に因んで「新高倉通」と呼称されることになりました。「新麸屋町通」と同様に、やはり旧地を偲んでの命名だったのでしょう。
「 高倉通」の名称由来ですが、これについては詳らかではないようです。

 ところで、「高倉通」には「頂妙寺通(ちょうみょうじどおり)」という別称があり、このいわれは次のとおり。
 『京町鑑』には、「頂妙寺通といふ事は  天正年中迄  椹木町上ル  頂妙寺といへる日蓮宗の寺ありし故  號く」としている。
 『京雀』には、平安時代に初代関白となった藤原基経の別邸「高倉院」があったところへ、室町時代になってから頂妙寺が移されたと記しており。これが頂妙寺通の由来だとしている。

高倉院跡碑

 これは藤原氏別邸が高倉小路に所在したことから「高倉院」と呼ばれたもので、高倉院のあったことが高倉小路の名称由来ではないのです。

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頂妙寺

 ところで、この頂妙寺は文明5年の建立以来、高倉宮跡を含めて7・8回にわたって移転を迫られており、最後の移転は寛文年間に御所の大火があったため、御所の整備を機に現在地の二條川東(現・左京区大菊町)に移りました。

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頂妙寺の仁王門

 頂妙寺の山門は仁王門通に南面しており、その山門の少し奥手(北)にやはり仁王門通へ面して写真の仁王門が在る。このことが仁王門通の名前の由来となっているようです。

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 なお、大正4年(1915)刊の『京都坊目誌』では、仁王門通は頂妙寺移転の前からある通り名であって、岡崎の法勝寺の門がこの街に当たることから名付けられたとしているようです。しかし、法勝寺の西大門は二條大路に面していたと考えられているため、これが仁王門通のいわれとはならないだろうと見られています。

 

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