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2014年10月17日 (金)

通り名のいわれ ー醒ヶ井通ー

 現在の醒ケ井通は北端が錦小路通、南端は五条通までの通りです。しかし、昔は北端は一条通、南端は西九条辺りまであったようです。

 通り名の由来について、『京町鏡』には「此通五條下ル二丁目西側人家の間に名水あるゆへに號す  又錦小路より魚棚(現・六条)下ル所迄和泉殿突抜通といふは  北の行あたり藤堂和泉守殿やしき有ゆへ也」とあり、通り名の別称である和泉殿突抜の由来をも記しています。
 醒ヶ井通の北端にある堀川高等学校の校地が、かつての藤堂和泉守屋敷跡にあたるようです。
 なお、堀川通六条上ルに位置する「佐女牛井町」の町名由来も同様に「名水」に因むものです。

「左女牛井之跡」碑

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 通り名・町名の由来となった「名水」とは、現「佐女牛井町」の西側部分にあった「左女牛井(醒ケ井)」のことで、室町時代の茶人村田珠光がこの辺りに住み、足利義政の来臨があった時にこの左女牛井の水で茶を献じたと云う。その後たびたびの兵乱などでこの水を愛でる者は絶えていたが、織田信長の弟織田有楽斎が再興して再び茶の湯に用いたと云う。(『京羽二重織留』、前掲『京町鏡』から)
 余談ながら、四条通と醒ケ井通の交差点北東角にある和菓子屋店頭脇の石碑「醒ケ井」は、本来の左女牛井跡ではなく、菓子屋さんが自家用に掘削した井戸に付けた名前なのです。

佐女牛井町(仁丹町名表示板)
 この表示にある「醒ヶ井(通)」、今は現存していません。

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 先の『京町鏡』の記述で判るように、元々の「佐女牛井町」は醒ヶ井通を挟んだ両側町だったのです。しかし、太平洋戦争中に空襲・火災に備えた建物疎開で、醒ヶ井通の西側にある堀川通が拡幅されました。このため、五条通以南の醒ヶ井通は、その西側部分の民家とともに堀川通に吸収されてしまい無くなったのです。
 そして、もともと醒ヶ井通の東側にあった佐女牛井町の民家は、現在では堀川通の東側歩道沿いの家々となって残っているのです。
 このように、醒ヶ井通の西側民家の間にあった「左女牛井(醒ケ井)」跡は、堀川通の地中に埋没してしまいました。このため、佐女牛井跡碑も建てるべき場所が無くなり、現在は堀川通西側歩道の植え込みにひっそり佇んでいます。

泉水町(仁丹町名表示板)
 先の「佐女牛井町」表示板の場合と同じで、表記の「醒ケ井(通)」は現存しません。

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 「佐女牛井町」の北隣りにある「泉水町」の町名由来は、前掲『京町鏡』に「此町往昔  源義經六條室町の御居館の御庭の泉水ありし舊地也  因て號す  又一説後白川法皇の御所の跡ともいへり」としています。
 と云うことで、源頼義をはじめ為義・義朝・義経など源氏累代の住居であった源氏堀川館の庭園の池の跡であって、名水「左女牛井」跡ではないのです。
 なお、頼義が六條判官と呼ばれたのは屋敷が六条堀川にあったことによります。

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