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2014年11月

2014年11月28日 (金)

辻子 ー聖護院辻子(大聖寺辻子とも)ー

聖護院辻子

 烏丸通今出川の北、二筋目を西行する小路で室町通に至る間。
 御所八幡町、御所八幡町・裏築地町と築山北半町の境界を通貫している。

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 「聖護院辻子」の名称由来は、かつてこの地に聖護院があったことによる。しかし、聖護院は二度にわたる類焼により、現在位置の左京区聖護院中町へ移転しました。
 また、聖護院辻子の別称「大聖寺辻子」は聖護院が移転した跡地に建てられた大聖寺に由来する名称です。大聖寺の開基は光厳天皇妃の大聖院無相定円禅尼で、尼五山の一で門跡尼院です。

裏築地町(仁丹町名表示板)

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 「裏築地町」の由来は、室町御所の裏築地(うらついじ)の跡であったことによる。これを俗に「裏辻(うらつじ)」と云うのは誤りとする。(『京町鑑』)
 「御所八幡町」の名称は、室町御所の鎮守神で足利氏の勧請した八幡宮から来ている。
 後に御池通堺町西南角(御所八幡町)へ移転しているが、、太平洋戦争末期の強制疎開で御池通高倉の東南角へとさらに移転しています。
 「築山北半町」は、室町御所庭園の築山跡にあたる築山町が、南北二町に分かれた一方の町だとのことです。

2014年11月21日 (金)

秋と柿

 今は暦の上ではもう冬なのです。けれども、ようやくこの二週間程の間に「山粧ふ」秋となってきました。

 滅多に見かけませんが「秋」という字には、「穐」というのもあります。しかし、この字は人名以外で使われることはまず無いように思われます。
 名前に「穐」のつく代表的な人は、85歳の高齢ながら、現役ジャズピアニストで作編曲家でもある「穐吉敏子」さんでしょうか。(アルバムや活動では「秋吉敏子」で通しています)
 日本人では初の国際ジャズ殿堂入りを果たしている他、紫綬褒章・朝日賞・ジャズマスターズ賞その他数多くの受賞歴があります。

 ところで、これから書くこともやはり秋がらみなのですが、話は一転して俳人の種田山頭火に変わります。
 そして、秋と云えば連想するものの一つにがあります。

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 山頭火は柿、ことのほか柿の木の落葉を好もしく思っていたようで、それらを詠んだ句が多くあります。
第五句集『柿の葉』(昭和12年8月5日発行、所収句は119句)の後書きには、次のような一文がある。
 「柿の葉はうつくしい、若葉も青葉も — ことに落葉はうつくしい。濡れてかがやく柿の葉に見入るとき、わたしは造化の妙にうたれるのである。」

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 そして、その『柿の葉』中に納められたものに、次の三句がある。

  何おもふともなく柿の葉のおちることしきり
  落葉の濡れてかがやくを柿の落葉
  澄太おもへば柿の葉のおちるおちる

 三句目の「澄太」というのは、やはり俳人の大山澄太で山頭火の支援者・庇護者の一人でした。
 そして、句集『柿の葉』には、次のように印刷した紙片が挟み込まれていたといいます。

お願ひ 
 山頭火翁に有縁無縁の人々にお願ひします。
 此の句集を送つて貰はれた御方は其中庵慰問袋として酒なら一升、米なら二升を御恵投下さる様念じ入ます。
 昭和十二年八月  大山澄太

 山頭火は極め付きの酒好きで、嬉しい時も、寂しい時も、また悲しい時にも酒を飲みました。そして、しばしば酒に溺れることがあり、そんな日の翌日の日記には自戒・懺悔の言葉を記しています。

 ところで、柿の句と云えば、誰もが知っているのが次の句でしょう。
 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺  正岡子規

 ここでまたまた、話はガラリと変わります。
 俳句のあとに「とは言うものの金の欲しさよ」を付け加えると狂歌になると云うのです。
 これ、狂歌なんぞは簡単に作れると云う速修術だそうで、例えば先の子規の俳句が次のような狂歌に変わるのですね。
 「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
   とは言うものの金の欲しさよ

 しつッこくもう一つ、
 「古池や蛙とびこむ水の音
   とは言うものの金の欲しさよ

いとをかし

2014年11月14日 (金)

室町御所跡と周辺の辻子

 足利尊氏が室町幕府を興したのは、建武5年(1338)のことで、御池通高倉付近にあった邸宅をその政所とした。
 しかし、その政権が安定したのは三代将軍足利義満のときで、義満は永和3年(1377)新しく室町御所(花の御所・室町殿とも)と云われる邸宅を造営し、ここに室町幕府を置きました。

室町第址(室町御所址)碑

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 室町御所の規模は、北は毘沙門堂大路(現・上立売通)、南は北小路(現・今出川通)、東は烏丸小路(現・烏丸通)、西は室町小路(現・室町通)ということで、東西が一町・南北は二町(約200m四方)あったと云う。
 その跡地は現在の町名で云うと、今出川町・築山南半町・築山北半町・岡松町・御所八幡町・裏築地町・上立売東町に当たるとか。これらの町名のうち、今出川町をのぞく全ての町名が室町御所に因んだものです。

 文明8年(1476)、近接する土倉・酒屋が放火されたために、花の御所も造営後約100年で炎上焼失してしまいます。
 (註)「土倉(どそう)」:高利貸し業者のことで、富裕な酒屋が兼業することが多かった。室町時代の徳政一揆では襲撃対象となり、借金証文の破棄をおこない、幕府に徳政令を出させることとなった。

大聖寺

 光厳天皇妃が出家して大聖院無相定円禅尼となったのを、足利義満が室町御所内の岡松殿に迎え、没後に遺言で岡松殿を寺とし、寺名を法名に因んで大聖寺とした。(元は隣接する岡松町に所在したと考えられる)
 尼五山の一で皇室に由来する寺院であるため、五本の定規筋が入った筋塀が最高位の寺格を表している。

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 この辺りも花の御所跡にあたり、境内に石碑「花乃御所」が建てられている。

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 元禄2年(1689)刊『京羽二重織留』に、「足利家代々宅地」として次のように簡潔に記しています。
 「傳云  室町通今出川の北  築山の町の邊なり  足利公方家代々此所に住給ふ  此故に世に室町殿と號す  古へ其結構美をつくし侍るとぞ  應永四年〈1397〉鹿苑院義満公  此亭を義持公にゆづり  北山鹿苑寺に隠居し給ふと  又康正三年〈1457〉慈照院義政公  此所に新館を修造したまひ花の亭と號す  其頃世に花の御所といへるは是なり  永祿八年〈1565〉乙丑六月十九日光源院義輝公  三好がために害せられたまひしより  此所館舎破壊して終に民家となれり」と。

 ところで、この室町御所の跡には聖護院辻子・清法院辻子があり、その周辺一帯には他にも数多くの辻子が存在しています。
 今後は、折々にそれらの辻子を採り上げてみたいと思っています。

 

2014年11月 7日 (金)

空・光・水・風  その3

 今日は二十四節気の一つ「立冬」です。
 『暦便覧』には「冬の気立ち初めて、いよいよ冷ゆれば也」とあり、暦の上では今日から冬です。
 北国ではいよいよ冬の気配が濃くなってくるのですが、京都では日のある間はまだまだ暖かくて快適です。
 けれども、さすがに日が傾いてくるとヒンヤリした空気が寄せてきます。そして、日が暮れ切ってしまうと寒さを感じて、密かにそして確かに冬が忍び寄ってきているように思われます。

夏の間は涼しげに見えた水も、今では冷たく見えてきます。
 水底の日光のさす部分は暖かそうですが、日陰の水面に映る空は寒々とした感じです。

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それでも日のあたる池の鯉は、まだゆったりと遊泳しています。

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