秋と柿
今は暦の上ではもう冬なのです。けれども、ようやくこの二週間程の間に「山粧ふ」秋となってきました。
滅多に見かけませんが「秋」という字には、「穐」というのもあります。しかし、この字は人名以外で使われることはまず無いように思われます。
名前に「穐」のつく代表的な人は、85歳の高齢ながら、現役ジャズピアニストで作編曲家でもある「穐吉敏子」さんでしょうか。(アルバムや活動では「秋吉敏子」で通しています)
日本人では初の国際ジャズ殿堂入りを果たしている他、紫綬褒章・朝日賞・ジャズマスターズ賞その他数多くの受賞歴があります。
ところで、これから書くこともやはり秋がらみなのですが、話は一転して俳人の種田山頭火に変わります。
そして、秋と云えば連想するものの一つに柿があります。
山頭火は柿、ことのほか柿の木の落葉を好もしく思っていたようで、それらを詠んだ句が多くあります。
第五句集『柿の葉』(昭和12年8月5日発行、所収句は119句)の後書きには、次のような一文がある。
「柿の葉はうつくしい、若葉も青葉も — ことに落葉はうつくしい。濡れてかがやく柿の葉に見入るとき、わたしは造化の妙にうたれるのである。」
そして、その『柿の葉』中に納められたものに、次の三句がある。
何おもふともなく柿の葉のおちることしきり
落葉の濡れてかがやくを柿の落葉
澄太おもへば柿の葉のおちるおちる
三句目の「澄太」というのは、やはり俳人の大山澄太で山頭火の支援者・庇護者の一人でした。
そして、句集『柿の葉』には、次のように印刷した紙片が挟み込まれていたといいます。
「お願ひ
山頭火翁に有縁無縁の人々にお願ひします。
此の句集を送つて貰はれた御方は其中庵慰問袋として酒なら一升、米なら二升を御恵投下さる様念じ入ます。
昭和十二年八月 大山澄太」
山頭火は極め付きの酒好きで、嬉しい時も、寂しい時も、また悲しい時にも酒を飲みました。そして、しばしば酒に溺れることがあり、そんな日の翌日の日記には自戒・懺悔の言葉を記しています。
ところで、柿の句と云えば、誰もが知っているのが次の句でしょう。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規
ここでまたまた、話はガラリと変わります。
俳句のあとに「とは言うものの金の欲しさよ」を付け加えると狂歌になると云うのです。
これ、狂歌なんぞは簡単に作れると云う速修術だそうで、例えば先の子規の俳句が次のような狂歌に変わるのですね。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
とは言うものの金の欲しさよ」
しつッこくもう一つ、
「古池や蛙とびこむ水の音
とは言うものの金の欲しさよ」
いとをかし
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