室町御所跡と周辺の辻子
足利尊氏が室町幕府を興したのは、建武5年(1338)のことで、御池通高倉付近にあった邸宅をその政所とした。
しかし、その政権が安定したのは三代将軍足利義満のときで、義満は永和3年(1377)新しく室町御所(花の御所・室町殿とも)と云われる邸宅を造営し、ここに室町幕府を置きました。
室町第址(室町御所址)碑
室町御所の規模は、北は毘沙門堂大路(現・上立売通)、南は北小路(現・今出川通)、東は烏丸小路(現・烏丸通)、西は室町小路(現・室町通)ということで、東西が一町・南北は二町(約200m四方)あったと云う。
その跡地は現在の町名で云うと、今出川町・築山南半町・築山北半町・岡松町・御所八幡町・裏築地町・上立売東町に当たるとか。これらの町名のうち、今出川町をのぞく全ての町名が室町御所に因んだものです。
文明8年(1476)、近接する土倉・酒屋が放火されたために、花の御所も造営後約100年で炎上焼失してしまいます。
(註)「土倉(どそう)」:高利貸し業者のことで、富裕な酒屋が兼業することが多かった。室町時代の徳政一揆では襲撃対象となり、借金証文の破棄をおこない、幕府に徳政令を出させることとなった。
大聖寺
光厳天皇妃が出家して大聖院無相定円禅尼となったのを、足利義満が室町御所内の岡松殿に迎え、没後に遺言で岡松殿を寺とし、寺名を法名に因んで大聖寺とした。(元は隣接する岡松町に所在したと考えられる)
尼五山の一で皇室に由来する寺院であるため、五本の定規筋が入った筋塀が最高位の寺格を表している。
この辺りも花の御所跡にあたり、境内に石碑「花乃御所」が建てられている。
元禄2年(1689)刊『京羽二重織留』に、「足利家代々宅地」として次のように簡潔に記しています。
「傳云 室町通今出川の北 築山の町の邊なり 足利公方家代々此所に住給ふ 此故に世に室町殿と號す 古へ其結構美をつくし侍るとぞ 應永四年〈1397〉鹿苑院義満公 此亭を義持公にゆづり 北山鹿苑寺に隠居し給ふと 又康正三年〈1457〉慈照院義政公 此所に新館を修造したまひ花の亭と號す 其頃世に花の御所といへるは是なり 永祿八年〈1565〉乙丑六月十九日光源院義輝公 三好がために害せられたまひしより 此所館舎破壊して終に民家となれり」と。
ところで、この室町御所の跡には聖護院辻子・清法院辻子があり、その周辺一帯には他にも数多くの辻子が存在しています。
今後は、折々にそれらの辻子を採り上げてみたいと思っています。
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