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2015年1月

2015年1月30日 (金)

太鼓望楼

 三条京阪のバス停広場南側でやや東、若松通沿いにある三階建て建物屋上に、見かけない構造物がありました。
 旧・京都市立有済小学校の屋上に設置されていている太鼓望楼です。
 登録有形文化財に指定されているのですが、今では建物は他施設に転用されています。

旧・有済小学校の太鼓望楼

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 この“太鼓望楼”、城や寺院に設けられた“太鼓楼”とは異なり、望楼を兼ねて屋上などの高所に設けられています。
 他の小学校にもあったようですが、明治の末頃までにすっかりその姿を消してしまい、現在も残っているのはこの旧・有済小学校のものだけです。太鼓を打って時刻を報せたり、火事を報せたりしたのです。

 京都市立有済小学校は京都市東山区大和大路三条下ル大黒町にあった小学校でした。
 しかし、後に同じく市立粟田小学校と統合されて白川小学校となり、さらに近隣の小中学校(白川小学校・新道小学校・六原小学校・清水小学校・東山小学校、そして洛東中学校・弥栄中学校の7校)が統合され、現在では東山区六波羅裏門通東入る多門町に所在する小中一貫校の京都市立開晴小中学校となっています。

西本願寺の太鼓楼(重要文化財)

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 先に記したように、太鼓楼と云えば、多くは寺院や城郭に設けられています。
 城の太鼓楼は、登城・下城などの時刻を報せるために打ち鳴らしたようです。

 寺の場合は、時刻を報せるとともに、法要の合図に打ち鳴らしたのですが、京都では西本願寺(浄土宗本願寺派本山)の太鼓楼が規模も大きくて立派なものです。
 重層の楼閣建築ですが、元の太鼓楼は大火で焼失し、現在のものは寛政元年(1789)に再建されたものと云います。

 なお、新撰組は、手狭となった壬生屯所を慶応元年(1865)西本願寺へ移転し、境内に「新撰組本陣」の看板を掲げて、北東部にあった北集会所とこの太鼓楼を使用していました。

2015年1月23日 (金)

辻子 ー畠山辻子ー

 今出川通室町の一筋西(上京区役所東側の通り)を北行する小路です。
 堀出シ町、畠山町を通り抜け、畠山町と蒔鳥屋町の境界、蒔鳥屋町と中御霊図子町の境界をなしており、その北端は「蒔絵丁辻子」西端の少し北側で西に折れるところまでの間。(この北端を西に折れる小路は「中御霊辻子」となっている)

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 辻子名と畠山町の名称由来は、元禄二年(1689)刊『京羽二重織留』に「畠山宅地跡 今出川通室町通の西にあり  今其所畠山の辻子と云  いにしへ室町公方家の三管領の内  はたけやま氏此所に住居せり(略)」としており、町の東側に管領畠山氏の邸宅があったことによる。
*「管領(かんれい)」:ここに云う管領は、室町幕府における将軍に次ぐ高い役職。「三管領」と云われる畠山・細川・斯波の三家があり、交代で就任した。

 「堀出シ町」の名は、室町御所の周囲に設けられた堀に由来すると云う。
 「蒔鳥屋町」については、辻子シリーズ先回記事の「蒔絵丁辻子と鳥屋辻子」で触れておきました。

2015年1月16日 (金)

辻子 ー蒔絵丁辻子と鳥屋辻子ー

蒔絵丁辻子 
 この辻子には「東御霊辻子」の別称もあります。

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 室町通上立売下ル一筋目を西行する小路で、裏築地町と蒔鳥屋町を通貫している。(「瓢簞辻子」の南端を東西に延びており、東端は室町通、西は南北に延びる「畠山殿辻子」までの間)

蒔鳥屋町の仁丹町名表示板

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 『京町鑑』には、裏築地町を西に入ったところが「蒔絵屋町」、築山町上半町(現・築山北半町)の西側北の方を西へ入る町を「鳥屋之辻子」としている。蒔絵屋・鳥屋の住んだ町と思われる。
 明治2年(1869)、この二町を合併して現「蒔鳥屋町」とした。

鳥屋辻子

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 「蒔絵丁辻子」の一筋南側にある小路で、北側の蒔鳥屋町・裏築地町、南側の畠山町・築山北半町の境界となっており、東西に延びる小路です。
(「蒔絵丁辻子」と同じく、東端は室町通、西は南北に延びる「畠山殿辻子」までの間)

2015年1月 9日 (金)

空・光・水・風  その5

 どういうわけなのか、新年早々に二日連続で積雪を見ました。京都では珍しいことでした。
 雪に覆われて色味の変化に乏しいモノトーンの風景もなかなか良いものです。

嵐 山

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竹林の道

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落柿舎

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後宇多天皇陵(北嵯峨)

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 いうまでもなく、雪というのは雨、霰(あられ)、雹(ひょう)、霙(みぞれ)などとともに、降水現象の一つです。
 雪の結晶をルーペで見ると、その形は数限りなくあって、見飽きることがありません。

斑雪(はだらゆき)
  大沢池畔

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 鈴木牧之(すずきぼくし)の『北越雪譜』に「されば人の肉眼を以て雪を見れば一片の鵞毛(がもう)のごとくなれども、数十百片の雪花(ゆき)を併合(よせあは)せて一片の鵞毛を為すなり。これを顕微鏡(むしめがね)に照し視れば、天造の細工したる雪の形状(かたち)奇々妙々なる事下に図するがごとし。その形の斉(ひと)しからざるは、かの冷際に於て雪となる時冷際の機運ひとしからざるゆゑ、雪の形気に応じて同じからざるざるなり。」と記し、土井利位(どいとしつら)の『雪華図説』から雪花図を引用しています。

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 雪には「六花」という異称があり、確かに六弁の花に見えます。これは水の分子が結合してできるため、上空の大気の温度と水蒸気の量により、一つとして同じ形の結晶はありません。まさに自然が作る造形作品と云えます。

【注記】
 鈴木牧之 明和7年(1770)〜天保13年(1842):越後国魚沼郡塩沢の人で商人(越後縮)・文人。『北越雪譜』は、世界有数の豪雪地帯である北越の、自然・産業・習俗・行事・遊び・芸能・伝承などに関する民俗資料となっている。
 土井利位 寛政元年(1789)〜嘉永元年(1848):下総古川藩藩主で江戸幕府の老中首座をつとめた。20年にわたり雪の結晶を顕微鏡で観察し、雪の結晶を「雪華」と名付けて『雪華図説』『続雪華図説』にまとめて出版、「雪の殿様」と云われた。

2015年1月 3日 (土)

あけまして おめでとうございます

 今日は正月三日(土)・・・と云うことは〜、昨日は金曜日
毎週金曜日は定例のブログ更新日のはずだったのです。

ところが〜、正月もまだ三日目ということで、今も祝酒で酩酊状態 
眼がラチラチ、元い、チラチラ  (眼も手元もおかしいゾ)

  舌つづみうてばあめつちゆるぎ出づ
     をかしや瞳はや酔ひしかも  若山牧水

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 日頃、このブログをご覧いただいている皆さま、本当にありがとうございます。
 今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。(相変わらず地味〜な記事になると思いますが)

 そんなことで、今回の更新は新年のご挨拶のみとさせていただき、通常の記事更新は来週から(真面目にやる)と云うことにさせていただきたいと思います。 

 

 

 

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