太鼓望楼
三条京阪のバス停広場南側でやや東、若松通沿いにある三階建て建物屋上に、見かけない構造物がありました。
旧・京都市立有済小学校の屋上に設置されていている太鼓望楼です。
登録有形文化財に指定されているのですが、今では建物は他施設に転用されています。
旧・有済小学校の太鼓望楼
この“太鼓望楼”、城や寺院に設けられた“太鼓楼”とは異なり、望楼を兼ねて屋上などの高所に設けられています。
他の小学校にもあったようですが、明治の末頃までにすっかりその姿を消してしまい、現在も残っているのはこの旧・有済小学校のものだけです。太鼓を打って時刻を報せたり、火事を報せたりしたのです。
京都市立有済小学校は京都市東山区大和大路三条下ル大黒町にあった小学校でした。
しかし、後に同じく市立粟田小学校と統合されて白川小学校となり、さらに近隣の小中学校(白川小学校・新道小学校・六原小学校・清水小学校・東山小学校、そして洛東中学校・弥栄中学校の7校)が統合され、現在では東山区六波羅裏門通東入る多門町に所在する小中一貫校の京都市立開晴小中学校となっています。
西本願寺の太鼓楼(重要文化財)
先に記したように、太鼓楼と云えば、多くは寺院や城郭に設けられています。
城の太鼓楼は、登城・下城などの時刻を報せるために打ち鳴らしたようです。
寺の場合は、時刻を報せるとともに、法要の合図に打ち鳴らしたのですが、京都では西本願寺(浄土宗本願寺派本山)の太鼓楼が規模も大きくて立派なものです。
重層の楼閣建築ですが、元の太鼓楼は大火で焼失し、現在のものは寛政元年(1789)に再建されたものと云います。
なお、新撰組は、手狭となった壬生屯所を慶応元年(1865)西本願寺へ移転し、境内に「新撰組本陣」の看板を掲げて、北東部にあった北集会所とこの太鼓楼を使用していました。
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