2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

リンク集

無料ブログはココログ

« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »

2015年5月

2015年5月29日 (金)

辻子 ー狼辻子ー

狼辻子

_01

 上立売通堀川の一筋東を南行する小路です。
 堀之上町、水落町と実相院町の境界、実相院町を通貫しています。
 その南端は東西に延びる「本阿彌辻子」と交わっている。(「本阿彌辻子」については次回の記事とする予定です)

堀之上町の仁丹町名表示板

_01

実相院町の仁丹町名表示板

_01_2

 「実相院町」の町名は、左京区岩倉にある門跡寺院の実相院(天台宗門跡寺院)が、かつてこの地にあったことに因む。応仁の乱の戦火を逃れるために岩倉へ移転したと云う。
 『山城名跡巡行志』には、「五辻南 小川西 実相院辻」と記しています。
 なお、移転した跡地には里坊(人里に設けた僧坊)があったようですが、応仁の乱で焼失してしまったと云う。

2015年5月22日 (金)

看板いろいろ その6

キンシ正宗

 京都市伏見区にある造り酒屋。
 天明元年(1782)の創業時は堺町二条の亀屋町にあった。
 「金鵄正宗」は純米大吟醸。
 金鵄は日本の建国神話に出てくる金色の鳶(トビ)で、神武天皇が東征するときに弓の先端に止まっている鳥。

_01_7

ぜにやたび 

 ぜにや株式会社(京都市中京区新町通蛸薬師上ル)
 足袋・靴下、足袋材料の店。
 創業は福助足袋と同じ明治15年(1882)、福助足袋ほどには大手でない。

_01_6

俵 屋

 石見国(現・島根県)の呉服問屋「俵屋」京都支店が、後に石州藩士の定宿となったことが旅館「俵屋」の始めという。

_01_8

柊 屋

 文政元年(1818)創業の旅館
 越前出身の創業者は初め運送業・海産物商だったという。

_01_9

2015年5月15日 (金)

辻子 ー近衞辻子ー

近衞辻子

_01

 この辻子の所在地について、『京羽二重』は次のように記しています。
 「近衞辻子 今出川どをりしん町にしへ入所なり」
 今出川通新町西入といえば、普通は今出川通の元新在家町・元本満寺町・南兼康町にかけての一帯を指します。
 ところが、ここに書かれている「今出川どをり」は、現在の「今出川通」ではないのです。
 次の写真を見てください。

_01_2

 この「今出川どをり」は、上京区役所前(堀出シ町)からやや北西方向へ斜行する現・今出川通ではなく、真西へと直進する旧・今出川通を指しているのです。この旧・今出川通をとると新町通に至りますが、「近衞辻子」はその新町通から西方の、弁財天町を経て南兼康町に行き当たる部分なのです。

 再び『京羽二重』の記述を引用します。
今出川通 東は寺町通の東川原  大原口より西へ禁中公家やしき町也  新町通の西  かね安町と云所にて行當り  少北ヘ上りて須磨の町通へ出る」
須磨の町通 東は小川通より  西へ北野東の鳥居の前へ出る  此すぢおまへ通とも云  大概絹織や」と記しています。

 つまり、近代になってから、近世以前の今出川通とその少し北側の須磨町通をつないで、現在のような今出川通に変わったのです。
 現在の今出川通が、上京区役所前の堀出シ町から南兼康町にかけて、やや北ヘ斜行しているのはこのためなのです。

もっとも、上七軒交差点から北野天満宮東門までの旧須磨町通部分は、現在では上七軒通と俗称されています。そして、今出川通は上七軒交差点からはやや南に斜行して西大路通に至っています。

2015年5月 8日 (金)

辻子 ー川勝辻子、かいや辻子ー

川勝辻子

 室町通を北行すると、寺之内通に突き当たります。
 その寺之内通からさらに室町通を北行する場合は、突き当たった地点の少し東側から改めて室町通となっているのです。つまり、室町通は寺之内通を境として東西にズレているのです。

 辻子は、この室町通を南から寺之内通に突き当たった個所から東方へ、再び室町通が北行す地点を通り過ぎて、相国寺門前町との境界までが川勝辻子なのです。
 下柳原南半町と室町頭町の境界、下柳原南半町を通貫しています。

_01_3

 上の写真、ずっと先の方(奥手)の横断歩道のある所、ここが北行してきた室町が寺之内通に突き当たる個所です。そこから、手前の方に少し見えている右手への道が、再び北に延びる室町通で、ここから少し東が相国寺門前町との境界となります。

かいや辻子

 辻子は、寺之内通 衣棚から東方へ、北行してきた室町通と交わる地点まで。
 納屋町、納屋町・下柳原南半町と室町頭町の境界を通貫しています。

 この「かいや辻子」の西端は、以前に記事にした「しからき辻子」の北端と会しており、「川勝辻子」の西側にあたります。

_01_4

 「下柳原南半町」の町名由来に関わって少しばかり記しておきます。
 上御霊前通から寺之内通までの間の室町通沿いには、北から順に「上柳原町」「下柳原北半町」「下柳原南半町」と、柳の字が付く町名が続いています。

上柳原町の仁丹町名表示板

_01_4

 『京町鑑』には上柳原町の由来について、「此町の西側に榊宮有  此所いにしへ後光厳院の仙洞有し舊地にて  柳木多くありしゆへ號す」と記しています。  
 こうした縁で、12代将軍足利義晴が三条坊門(現・御池通)高倉の御所をこの地に移転したとき、そこを「柳の御所」と称したと云うことです。

 

2015年5月 1日 (金)

暖簾いろいろ その6

くろちく(ブライダル)
  新町通錦小路上ル
  和雑貨店等を経営する「くろちく」のブライダルホール

_01_15

弌之船入
  押小路通河原町東入
  創作中華料理

_01_16

永楽屋
  室町通蛸薬師上ル
  佃煮と菓子の店

_01_17

エスリード四条室町
  分譲賃貸マンション

_01_18

 

« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »