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2015年5月 8日 (金)

辻子 ー川勝辻子、かいや辻子ー

川勝辻子

 室町通を北行すると、寺之内通に突き当たります。
 その寺之内通からさらに室町通を北行する場合は、突き当たった地点の少し東側から改めて室町通となっているのです。つまり、室町通は寺之内通を境として東西にズレているのです。

 辻子は、この室町通を南から寺之内通に突き当たった個所から東方へ、再び室町通が北行す地点を通り過ぎて、相国寺門前町との境界までが川勝辻子なのです。
 下柳原南半町と室町頭町の境界、下柳原南半町を通貫しています。

_01_3

 上の写真、ずっと先の方(奥手)の横断歩道のある所、ここが北行してきた室町が寺之内通に突き当たる個所です。そこから、手前の方に少し見えている右手への道が、再び北に延びる室町通で、ここから少し東が相国寺門前町との境界となります。

かいや辻子

 辻子は、寺之内通 衣棚から東方へ、北行してきた室町通と交わる地点まで。
 納屋町、納屋町・下柳原南半町と室町頭町の境界を通貫しています。

 この「かいや辻子」の西端は、以前に記事にした「しからき辻子」の北端と会しており、「川勝辻子」の西側にあたります。

_01_4

 「下柳原南半町」の町名由来に関わって少しばかり記しておきます。
 上御霊前通から寺之内通までの間の室町通沿いには、北から順に「上柳原町」「下柳原北半町」「下柳原南半町」と、柳の字が付く町名が続いています。

上柳原町の仁丹町名表示板

_01_4

 『京町鑑』には上柳原町の由来について、「此町の西側に榊宮有  此所いにしへ後光厳院の仙洞有し舊地にて  柳木多くありしゆへ號す」と記しています。  
 こうした縁で、12代将軍足利義晴が三条坊門(現・御池通)高倉の御所をこの地に移転したとき、そこを「柳の御所」と称したと云うことです。

 

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コメント

いつも参考にさせていただいております。
今回の「かいやの辻子」は、横ではなく竪の辻子のようです。
「文化増補 京羽二重大全」と「京羽二重」には、『㋟かいやの辻子』とでております。詳しくは、
http://youryuboku.blog39.fc2.com/blog-entry-160.html
を見ていただければ幸いです。

いつも参考にさせていただいております。
今回の「かいやの辻子」、 横でなく竪の辻子ではないでしょうか。
「文化増補 京羽二重大全」と「京羽二重」に『㋟かいやの辻子』とでています。
 詳しくは、http://youryuboku.blog39.fc2.com//blog-entry-160.html#Tsujiko
に書きました。

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