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2015年8月28日 (金)

「戀の棚」(こいのたな)

 「戀の棚」、ここで言う「棚」は「みせだな(店棚)」の略であり、棚に商品を並べて販売する場所、つまり「店(たな)」のことなのです。
 言うまでもなく、「恋」を商う店などある筈もありません。これは町名「小結棚丁」(こゆいだなのちょう)の小結棚が転訛し、合わせて表記も変化した(させた?)のでしょうが、ちょっと小粋な感じですね。
 
 さて、その「小結棚町」は中京区にあります。新町通を挟んで錦小路と四条通間にある両側町で、祇園祭では前祭に巡行する「放下鉾」を出している町なのです。

小結棚町の仁丹町名表示板(平成版)
 この町名表示板、大正末期から昭和初期にかけて設置されたものとは違い、独特の味わいや重厚感に欠けます。
 表記も「四条上ル」ではなく、「四条上る」となっています。

N_01

 「小結」を辞書で引いてみました。本来は「こゆい」と読み、烏帽子(えぼし)を着ける時に、髻(もとどり)を結った先を後ろにある穴から出して、烏帽子を結び止めるための組紐のことなのです。また、小結を長く垂らした烏帽子「小結烏帽子」の略称ともなっています。
 そして小結棚町には、烏帽子や五節供の飾り物などを造って商う店が多かったようです。

 元禄2年(1689)刊『京羽二重織留』には、次のように記しています。
小結棚(こゆいのたな)」
 「凡  ゑぼしを造るものは洛下所々にあり  其内室町三條の南にある所根本とす  小結(こゆい)ゑぼしを造る者いにしへ新町四條に有  其所を小結の棚と云  今あやまり戀の棚と云  小結は少年の着する物にして  五色の紙捻(かみひねり)を以てゑぼしの角を結て飾とする也  凡  元日上巳端午重陽  兒女のもてあそぶ所品ゝの物此所にて商賣す  是叉少年着する小結ゑぼしよりもとづく物なり」
 この記述によれば、市中のあちこちに烏帽子を製する所があり、室町三條の南一帯が小結烏帽子製造の中心地だったようで、宝暦12年(1762)刊『京町鑑』にも、「此町東側に御装束師三宅近江守居宅有  此邊むかし烏帽子商ふもの多く居住せし也」とあります。これが現在の「烏帽子屋町」で、この町は祇園祭では後祭に黒主山を出しています。

烏帽子屋町の町名表示板
仁丹のものが無いため、アリナミン(武田薬品)のもので代替しています。

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 なお、貞享2年(1685)刊『京羽二重』「諸職名匠」の中で、「御冠并烏帽子折 油小路中立賣下町  木村筑後、同一條下ル  同  庄兵衛、室町通一條上ル  杉本美作、室町通三條下ル  三宅近江」と、当時の市中にあった主な烏帽子製造者を記しています。

 このように、小結棚町の町名由来は、烏帽子・五節供の飾り物などを造って商う店が多かったことによるのですが、同様の記述は他にも、前記『京羽二重』、寛文5年(1665)刊『京雀』、延宝6年(1678)刊『京雀跡追』などの地誌に見ることができます。

 お仕舞いに、「小結棚(こゆいのたな)」について、もう1つの面白い表記が目につきました。付け加えておきましょう。
 元禄15年(1702)刊『山州名跡志』にある、「兒居店(コイノタナ)」です。
(* 片仮名混じりの漢文体(?)で書かれているため、下手糞な漢文訓読調で読み下してみました。また、アンダーラインは筆者が付したものです)
 「同街(新町通を指しています)錦小路ノ南一ニ町ヲ云フ  此所古ハ兒女ノ玩物遊器ヲ作ツテ店ニ錺ル。今ノ如キハ節ニ臨ミテ之ヲ製ス。上巳ノ雛ノ具。五月ノ菖蒲刀  冑。盂蘭盆ノ灯籠等之ヲ作ル。 或ル説ニ曰ク。今此ノ號ハ後世ノ誤リニテ實ハ小結(こゆい)ノ店ナリ。古ハ童子ノ著スル小結ノ烏帽子ヲ製スト云云  古老ノ曰ク。此ノ説太ダ推量ナリ。夫レ此ノ所ニハ兒童ノ好ム物有ルヲ以テ。毎店常ニ兒童有ルノ謂ヒナリト
 つまり、節句の飾り物などを商う店々には、それを好む子供達が群れ集まって居ることから「兒居店」と呼んだが、これは「小結ノ店」の間違いだとしています。

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